2024.04.24

父が 2023.10.13に進展型小細胞肺がん ステージ4bと診断されてから、少しずつ終活を始めているのが、私は見ていて辛く、嫌だったえーん

でも、今となっては、少しずつやっておいてくれて良かったなーと思う。

父が泣いたのを最後に見たのは私の結婚式の日。両親への手紙を泣きながら読み、花束と、自分の出生時の重さのテディベアを渡した時。
余命宣告された時も涙は見せなかった。
元気のない姿を母は見ていたが、泣いたところは見なかったと。
どれだけ怖かっただろう…痛かっただろう…

そんなしっかりした父がやっておいてくれた終活⬇️

①遺影の写真を撮る
病名の確定申告があって、すぐとりに母と行っていたため、“生きる”という気力が感じられず、凄く嫌だと私は思っていた。
死後、お通夜に飾る写真を探していると、なかなかまともな顔して写っている父の写真がなくて、撮っておいてくれて良かったなと思った。
遺影は、まだ痩せる前の父。いつもの笑顔で笑っている写真キラキラ見るたびに、今にも動き出しそうな写真に泣けてくるえーん

②墓じまい
実家の近くのお寺さんにうちのお墓はあったが、檀家の位が高い方にあったため、年間にかかるお金が高いし、葬儀などには5人ほどの和尚さんを呼ばなきゃいけない決まりになっていた。
墓じまいをしてくれていたので、父の葬儀には他のところの和尚さん1人でよかった。
私達の代で、お金がかからないようにしてくれていた。

③株の贈与税など調べておく。
株を売り現金にするより、株のママの方が税率が低い。大体このくらいの価値だよと調べておいてくれた。
私達にはさっぱりわからない。

④不用物の整理

⑤母の車の買い替え
手続きが母は全くできないため、生きてるうちに変えときたいと。

⑥新たな墓場探し
これは、中途半端になってしまったアセアセ
最短でも10月までは生きれると思っていた父。ハイパーサーミアの病院を退院してから、あと何箇所かまわり決める予定だった。ここの霊園がいいのでは?としぼってくれてはいたが、まだ決まってはなかった。

あんなに嫌だった終活えーん
でも、やっておいてくれて助かった!
葬儀が終わっても、色々な手続きで追われる日々。余計なことまで考えれないし、手が回らないアセアセ

余命を告げられ、悲しく、怖かったはずなのに、きちんといろいろやってくれた父に感謝おねがい


保険の申請や、傷病手当の申請なども3月末分までしっかりやってありましたえーん
4月以降分を私と姉でやるんだけど、どれがどれだか分からなくてテンパるガーン


サムネイル