2024.04.09

10日に病院に父の状態を聞きに行く予定が、一日早められた。

どーしても本人に面会させてくれた頼み、父に会えることに。

母と姉と3人で合わせてもらうことになるが、帰り泣いてしまい40分運転できそうにない…
主人が休みをとってくれ、送り迎えしてくれることに。

ICの予定が早まったこと、急遽勝手に転院(主治医のいる病院へ)決まっていたこと、肝性脳症をおこしていること。
相当状態がわるいのだろう。

行きの車から3人とも大泣きえーん

ハイパーサーミアの為入院している民間の病院につくと、すぐに診察室に呼ばれる。
担当の副院長は本日不在のため、院長から説明。

入院当日にとったPETの画像を説明…
紹介状と一緒に送られていたCTの画像とは別人!?と思うほど悪化していた。

紹介状のCT画像では、肺はある程度綺麗だったが、癌が何ヶ所かはっきりとうつっている。
パツパツと何個もあった肝臓の腫瘍は、肝臓全体に広がっており、肝臓が全て色づいて写っていた。

肝臓はもうほぼ機能してないだろう…

医療従事者ではない母でさえ、これはヤバいとすぐに察したえーん

院長は、『こんなひどくなるまえにくればよかったのに…』と最後にぼそっとつぶやいた。

その後病室へ。入る前に涙を拭いて、深呼吸してから入る。

きっと意識もうすれてベッドに寝ているだろうと思っていたが、まさかまさか、車椅子に座っているびっくり

意識は朦朧としているが、身の置き所がないのか、ソワソワ動いていて、立ち上がることもあった。姉は車椅子の後ろに立ち、背中をさすりながら、声を殺して泣いているえーん
急に立ち上がった時に倒れない様に、父の正面に座っている私の位置から、ボロボロとなく姉が丸見えで、こっちも泣けてくるえーん
母は父の横に座り、隠れて泣いているえーん

『お父さん。お父さん。わかる!?3人できたよ。お母さんもいるよ。』というと、お母さんの方を見て、ビックリした顔をする。
ちゃんとお母さんがわかったのかな?
一瞬わかった様だが、また意識が薄れてぼーっとする。
その繰り返し。

アミノレバンの点滴を初めて何日かたっているがこの状況。昏睡状態になるのもそう遠くないだろう…

『横になる。』とうわごとのようにつぶやいた父。姉と私で支えベッドへ。

寝てもずっと目を瞑ったまま動いている。時々むくっと起き上がる。

『元気になって家帰ろう』と母が言うと、うんうんと頷く父。

30分ほど半分意識のない父に話しかけまくっていると、
『そろそろ面会終了です。』と。
転院の為、余分な荷物をまとめ持ち帰ることに。

帰りの車の中でもみんなで泣くえーん

11日に転院して、そのまま病院で亡くなる可能性が高い。回復は、あの肝臓の状態では厳しいだろう。
11日までに今後どうするか決めなくてはいけない。

入院にも付き添っていた主人が、
『入院の時、今後どうしたいか聞かれてたら、じいじ(父)、少しでも良くなって家に帰りたいっていってたよ。』と。
そこでまた3人で号泣。

地元の病院に戻ると面会制限が厳しく、会えても1日2人で15分のみ。
後悔しない様に家に連れて帰ろう!!と。
今の状態の父だと24時間誰かがついていないと、転倒のリスクが高い。交代でついていなきゃいけない。
それでも、そばにいたいと決めた。

家族の自己満かもしれない。娘たちにオムツ変えたりされたくないかもしれない。そうだったら、お父さんごめんね。

決めてからは忙しかった。ベッドの位置決めや、クッションフローリング敷いたり。介護用ベッドは頼めば翌日には届けてくれる事になっている。
起き上がりセンサーなども頼む予定。 

11日転院した時に癌専門相談員との面会予約をし、訪問看護などの手配などの話をできる様にした。

準備出来次第、家に帰ろう!!


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