■此処でも、見所の“寺巡り”をしてみた!

  …「仏領インドシナ」、時代の遺産の残り香を歩く!■

 

早朝左程大きくは無かったのですが、アラーのお告げを告げるがなる声を聞かされ、目覚めました。即、二度寝しましたけど!

 

午後“バイタク”をチャーターし、律儀にこの街の名所に為っている信仰の山「サム山」の裾野に数多く点在する寺を訪ね、所謂“お寺巡り”へ出掛けることにする。

 

よくよく考えてみたら、このブログの本来のタイトルは『「

仏領インドネシア」、時代の遺産の残り香を歩く!』で在ったはずだが?

 

これまで三回の教会との出会いは在ったが、後はなし崩し的に陵だ、廟だ、寺だって、如何も可笑しくはないか!
そんな話もない訳じゃないが、今日の本来の話に戻ると!
 

人のよさそうな“バイタク”のドライバーのおじさん、見た目道理人の好い方でした。このような方を選べば、事故率はぐっと少なくなると思うのですが。如何でしょうか!

見て、客用のヘルメットもちゃんと用意されている。(笑)

 

 

ちょっとだけ真面目に、始めにお断りをしておきたい!

と云うのも、皆さんもある意味ご存じのように、日本人である私は宗教と云うものに付いては、全くと云って良い位節操

がないと云うか“疎い!”のである。

 

その為“お寺巡り”と云った処で、単に興味本位でほぉ~へぇ~と感心して、あっそ~!とぷらっと廻るのがおちである。

その為子細には触れられずで、飽くまでも物見遊山であります。

 

どうかその辺の点だけは、誤解無き様宜しくお願いしておきたいのである。

 

ではそう云うことで、先ずはお寺ではなくお墓である「トァ

イ・ゴク・ハウ陵」目指して、[チャウドック]市内から不似合いな程幅広い、田んぼの中の直線の未整備の道路を、「サム山」目指してひた走りお寺街へ辿り着く。

 

一点[フエ]の“陵巡り”に比べて気楽なのは、ほぼ一か所に集約されていて移動が這っては無理だと思うが、徒歩で十分すぎる位隣接しての距離に在るという点だ。

 

 


 

 

しょっぱなに訪ねた流石“陵(単に墓)”敷地も広く、[チャウド

ック]の街方面を見降ろした風景もさぞや好かったであろう痕跡が伺える。

 

そんなことも手伝って回り始めて旨く言えないのだが、パキ

パキの天候のせいも在ってのことと思うが、全体が“パーク”

としか思えない明るさなのだ。

悲壮感などには何処探しても行き当らない。

 

 


 

次に訪れた「バー・チュアスー廊」は大きな“廊”で、参拝に訪れる人々も切れることがなく、他の寺とは違って直接の参道があり、門前街の賑わいも捨てた物ではない。

 

 


 

この「バー・チュアスー廊」は、さまざまな伝説を持つ「チュアスー女神」を祀った“女神廟”だそうだ。

中華の世界での“媽祖”にあたるのだろうか?

 

広い廟内の建物も中々立派なものが多く、見応えがする。

 

 


 
 

次は、簡単に言って仕舞えば、実に“派手な寺”である。

その「西安寺(タイアン寺)は、正確なことは判らないがインドの影響が色濃いようなのだが、独特の造りが世俗的で面白い。
 

 


 

寺の名称にもなっている様にこの寺の創設は、「西安和尚」

で19世紀半ばと云うことである。

その為歴史は左程深くはないらしい。

 

御覧のように、様々な形の仏塔が寄せ集められている。

 

 


 

ご紹介させて頂いた寺以外にも、まだまだ小振りな廟・宮が何ヶ所か点在していましたし、沿道には食べ物屋を始め土産屋も並び門前町の様相が!           

 

それにしてもなぜこのような現象が、この「サム山」の麓に現れたのかが不思議でなりません。

この「サム山」に何か謂れが在ってのことなのでしょうか?

 

何にしても、理屈が判っていないものですから、この辺りで満腹状態に!(笑)これ以上は“ゲップ”が出そうなので退散します!

 

一点、この「サム山」のシルエットの印象であるが、チャウドック市内からの眺めは、私が生まれた讃岐(香川県)の“飯野

(讃岐富士)”を彷彿とさせるような、“おにぎり山”の印象であった。

「仏領インドシナ」、時代の遺産の残り香を歩く!

  …ベトナム-チャウドック2015-(136)…アーカイブ版

 

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