Aさんはダウン症児。元気な小学3年生。
年長の4月から塾に通っています。
この3年半の学習の歩みから私自身学ぶ点が多かったのです。
●学習には段階のあること
Aさんは今、カタカナまじりの絵本を読むことが大好きです。
塾に来始めたころは
絵本を自分で読むことはもちろん
絵本の読み聞かせもうまくいきませんでした。
その時、興味を持ったのは手袋人形やパネルシアターでした。
言葉を主とする媒体ではなく、
人形の動きや場面の展開で、こめられたメッセージを理解する媒体です。
そのような媒体でやり手と受け手のコミュニケーションを豊かに体験した後、
それが土壌となって絵本の読み聞かせも上手くいくようになりました。
平行して、あいうえおの学習を積み木やことばカードで積み重ねていたのですが
ある時、絵本の読み聞かせをしていて、その文章を自主的に読むようになりました。
まさに、「文字の発見」というぐらいのクリアーな転換点のように感じられました。
その時から文を読むことが大好きになりました。
文が読めるようになると
絵本を読んでいても以前と違って文を中心に読んでいることが分かります。
挿絵は補助的なものになって読みこなしているのです。
言語が伝えるメッセージがやはり深く多いのだと思います。
●ひとつのものに習熟することの意味
読み聞かせで大好きになった絵本「わにわにのごちそう」が愛読書になりました。
あらすじは何度も読んで分かっているのに
飽きもせず 「わにわにのごちそう」を塾に来るたび自ら選んで読みます。
何度も読んでいるうちに、「っ」の読み方やカタカナも読めるようになりました。
「ゆか」や「シーシーチーチー」は何?と、意味を聞くようになりました。
読書の基本を「わにわにのごちそう」を通じて学んでいったのです。
それを基盤に「わにわに」シリーズや他の絵本を読めるようになったのです。
●ブロックで10進法の仕組みを具体的に表し
数字を結びつけ学習する
数字は5までは読めて数えれるのですが
それ以上は数えることが難しい状態が続きました。
6,7,8ぐらいになると数え間違うのです。
手指の巧緻性の問題とその時は理解していました。
発達の未発達な子どもの数の指導実践に
「買い物ごっこ」など生活の場面を設定することがありますが
Aさんはうまくいきませんでした。
にんじんの個数に注目がいかなくて
にんじんやトマトをかごの中に入れることに終始してしまうのです。
上手くいった方法はブロックで数を構成し
それに数字を当てはめていく方法です。
8個のものを数えると間違っても
6,7,8,9の順序は理解しているので
6,7,8,9の量の順に並べられたブロックに対応した数字カードをおくことができます
(6は5の隣)。
10のブロックと1のブロックで11と理解すれば20まではすぐ理解できました。
その方法で10進法の数字の仕組みに興味を持ち
(40まで行くとつぎは41と催促されました)
100まで学習できたのです。
数え間違う6,7,8,9はその後
5のかたまりのブロックとの組み合わせで数えられるようになりました。
今、たし算やひき算の文章題に取り組んでいます。
たし算やひき算の文を数式に表すこと
ブロックでその操作をし、答えを出すことに取り組んでいます。
個別対応の学習時間は70分です。
Aさんはその70分を楽しみながら集中して学習することができます。
発達に遅れがあることは学習が嫌いだという図式は全く当てはまらないのです。
そこには、学習の原則のようなものがあります。
①学習はやさしすぎず難しすぎないものを
Aさんにとって当たり前になり、やさしすぎる課題になってしまったときは
やはり遊びがはいってしまい、結果的に集中した学習になりません。
また、難しすぎる課題に無理をさせてしまたり
失敗を指摘してしまったりすると
強い拒否反応を示したり、不安定になったりして
学習そのものが成り立たなくなる場合があります。
10進法の仕組みが分かりかけてきて
ブロック図と数字の組み合わせが30まで、40までと毎週のように伸びていた頃
10進法の数字の仕組みが習得できたのでしょう。
100までに挑戦した学習は
Aさんがとても集中し、言動からも達成感を感じているのがわかりました。
・ひらがなやカタカナの学習が進み、今、熱心に取り組むのは漢字です。
②本人の興味関心や選択を取り入れる
これは必要と学ぶべきことは確かにあるわけですから
本人の興味関心や選択にばかり依存できないことはもちろんです。
それでも、学びの中に本人の興味関心や選択を生かすことは大切です。
まず、学習が能動的になります。
上に述べた「100までに挑戦した学習」など
Aさんの希望で数を増やし、事前の予想を超える成果を達成することができました。
Aさんが毎回選択し「わにわにのごちそう」を読みこむことで
文章の表現で分からないことを質問するということが起こってきています。
それは学習が能動的になってきたからこそのことだと考えています。
●望まれる学習観
塾で小学生や中学生の学習ぶりに接していると
例えば、テストの準備のために学習しなければならない事になり
「適切な難易度」「本人の興味や選択」という大きな指針とは違う学習を強いがちになり
学習が苦役になってしまっている例が見られます。
苦役になってしまった学習は、受動的で集中力を欠きがちなのは否めません。
そのように強いた学習の成功例は実は長期的な展望に立てばたつほど乏しいのです。
Aさんが特別支援学級に在籍していて
「適切な難易度」「本人の興味や選択」という大きな指針を採用しやすい環境にあることが
Aさんの能動的な学習ぶりの大きな要因になっています。
学ぶという事は空気を吸うように当たり前に人間が求めることであり
学ぶという事自体が楽しみである
ということが、Aさんと学習に取り組んでいて感じることです。
また、指導者としてAさんと関わっているのですが
学びがなければ、これほどAさんの個性に気が付いていなかったでしょう。
それは、Aさんも同様でしょう。
学ぶという行為は深いコミュニケーションだと思います。
でも、そのような学びは、Aさんだけが獲得できるものではないはずです。
テストの準備のために学習しなければならない小学生や中学生の難しい学習環境の中でも
工夫を凝らして実現していかなければならない指針であり、学習観だと思います。