インドといったら、
インドカレー?
(インドのカレーが無理のため写真なし)
インド人?
牛?
マザーハウス
今月、私が以前働いていた施設が閉院する。
そんな事もあってマザーハウスのボランティア1日体験を踏まえて初心に戻ろう
コルカタに一泊しか出来きなかったのでボランティアは1日だけ参加。
いざぽんが同じ宿に泊まっている日本人パッカーに情報収集してくれた。
「僕達も行くので一緒に行きましょう。」
話によると、何日かボランティアに参加する場合は事前に申し込みが必要だが
1日体験は当日申し込みでもいいとののこと。
シスターに参加できる施設を指定されるそうだ。
1日体験は余り希望が聞いてもらえず、
人手が必要な施設を紹介されるそうだ。
朝一に教会に行き、お言葉?を聞き、聖歌?を歌ったみたい。
チャイとパンとバナナを全員頂き、いざ各施設へ。
てか、紛れ込んで朝食食べてもばれなさそうだけど、
ココまできてそんなことする人もいないという人の善意を信じているんだろう
ってことで、ここで逃げるわけにいかず、
勇気をだしてアジア人シスターに相談。
残念、日本人じゃないので英語。
1日だけ参加したいと伝えると【oneday pass to premdan】とメモに書かれ、サインをさせられた。
う~ん、プレンダムって調べてなかったなぁ。
いざぽんに「孤児の家じゃないけど、いい?」と確認。
二人は子どもちゃんに会いたかったケド、必要とされた施設を紹介されるよ聞いていたので
「これが、本来のボレンティア。流れにまかせよう」と心は決まっていた
プレンダムはどうやら「死を待つ人の家」ほど重症ではない老人の施設だった。
男性と女性で施設は分かれており、ボレンティアも男性と女性で分かれた。
宗教上の問題かなぁ。。。
訳がわからないうちに、施設の中に入りシーツや入所者の衣服の洗濯。
洗剤で洗うススグススグ。この行程を大きなタライで行う。
韓国人めっちゃ美人の女の子がたった一人の日本人の私を気にかけてくれた。
洗濯の後は
「マッサージとかコミュニケーションとか何か自分のできることををおばあちゃんに提供する時間よ」
と美人コリアンちゃんがニコリ教えてくれた
言葉は英語はおばあちゃんに伝わらない。
周りを見ていると、医療処置をしている人が2人ほどいて、
ほかの人はマッサージしたりゲームしたり写真を撮り合ったりしている。
私には出すネタがございません。。。
周りに圧倒されていると1人のおばあちゃんが私にピタっとくっついてきた。
私は洗濯でくたびれていたので、
くっついてきたおばあちゃんに合わせているフリをして休憩
(サボっているがばれないラッキー)
おばーちゃんの手をずっとさすっていた。
おばあちゃんは猫が膝の上で休んでいるかのように気持ちよさそうにしていた。
が、マンゴーが出されるとおばあちゃんは私をほったらかしてマンゴーの方に行ってしかまった・・・
そーこうするうちに食事の時間になった。
配膳、下膳、食事介助。そして食後の休息の為の移動の介助。
既にご飯を食べているのに「まだ食べていない」とアピールするおばあちゃん
好きなおかずばかり「おかわり」するおばあちゃん
下膳は頼むけど、他は自分でするから介助しなくていいと自立しているおばあちゃん
とても人間くさい
私はココにくればインドを知ることが出来ると思っていた。
けど目の前で起こっている光景は私が以前働いていた施設と凄く似ていた。
確かに貧富の差が激しいインドでは同じような内容を施設で行うにしても
ボランティアの手を借りないと成り立たないのかもしれない。
けど、どうしても納得できないのが、
こんなに多くのボランティアにあふれ、
洗濯も手洗いなどこれだけの人件を使うことがモヤモヤと心にひっかかった。
私がマザーの教えに触れていないから思うのかもしれない。
日本にだって最低限の人としての楽しみを得ることが出来ない人がたくさんいる。
ちょっとした「お手伝い」を必要としている人がいる。
なんだか「ボランティア」って言葉が独り歩きしているように感じた。
自分の得意なことで助け合うこと
それはインドだから必要なのではなく日本も同じだ。
障がいがある人は弱者なんかじゃない
どんなに健康であっても目の前にいるおばあちゃんのように年をとり誰かの助けを必要とする時期がくる。
でも、そんなおばあちゃんも、
私につかの間の休息をくれたように助けてもくれる。
結局何も変わらない。
自分がいつか誰かに助けてもらうかもしれない、その日まで
私は私で協力できることをしていたい。
私なりの方法で。
応援よろしくおねがいしまぁす