ガンジス川をボートからガートから何度も見た


ガンガーで沐浴する人々

でもテレビでも何度も見た


もっと火葬場は仰々しいかと思った

実際は、生活の一部って感じで、

薪割りのおじさん、

火葬するおじさん、

喪主の人の髪を剃るおじさん、

観光客をだますおじさん???

その傍で遊ぶ子ども達、

洗濯する人、

沐浴する人、

普通の生活+火葬場って感じ


まず、火葬前に、ご遺体を花や綺麗な布で覆い、聖なるガンガーの水に浸す

その後、火葬し、お骨は川に流す


その時、ご遺体と一緒に家族集合写真を撮っているではないか!!


しかもみんな笑顔でにっこり写真ラブ


また、別の火葬では、

業者の人っぽい人が、可燃しやすいおがくずとか炭とか撒くんだけど、

その空袋のぽーんと

よりによって顔に捨てた

なんて事をするんだむかっってイライラしながら見ていたら

喪主のおじいちゃんがそっと袋を除けていたあひる


興味深くなってじーちゃんを見ていると、

どうやら喪主はご遺体に火をつける時

に遺体の周りを廻るようだが

じいちゃんは途中こけそーになり、火傷しそうにえ゛!

そした火をつけたら、

ご遺体そっちのけでタバコをふかしていたえ゛!


まぁそんなところがインド人って感じだけど苦笑


誰も、顔にのっかた袋に気づかなかったのに、じーちゃんが除けたんが凄く心に残った足あと


じーちゃんにとって、ご遺体さんの死も普通のことで、

亡くなってもじーちゃんにとって同じ存在なんかなぁとか思った



私は冬におじいちゃんを亡くし、

そのお通夜で、みんな楽しげにおじいちゃんの思い出話をしていたのを思い出す

仕事で人が亡くなる場面に何度も接したけど、

身内の死を通し、

私はおじいちゃんに色々な経験や知識を貰った事を感じ、

また、それを思い出すことで、次の世代に引き継ぐのかなぁとか

おじいちゃんがいなくなっても、

おじーちゃんから得たものはずっと続くのかなとか


人の死は避けられない誰にも訪れることで、

どう死ぬかを考えるより、

私はどう生きるか、

何を残せるかを考えたいと更に強く考えたしゃきーん

これが輪廻の根本かしらとかも考えた。


身内の死を身近なものに感じることが出来るインド

日常で生と死を意識できるインド


でも、昔の日本にもあったはず考え。

だから新鮮さより懐かしさを感じずにいられないのだろうか



ガンガーの中洲で筋トレするインド人