青梅線の駅名を縄文地名で読み解く 軍畑(いくさばた) | 謎解き縄文ワード 身近残る縄文ワード・地名・神社

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東京や関東にも難読地名や駅名が数多く残っています。その解釈は当てられた漢字の解釈をしているものがほとんどです。これを「アイヌ語辞典」片手に謎解きをすると縄文時代の地名が見えてきます。さあ、謎解きに出発です。

 今年は青梅線開通130周年だそうです。そこで駅名(地名)の由来を考察してみました。

 

「軍畑(いくさばた)」はJR青梅線ひいては東京都内の鉄道駅名でも難読の部類に入るでしょう。

 ネットで地名の由来を見てみると、「永禄4年(1561年)〜永禄6年(1563年)頃、辛垣城(からかいじょう)を守備する三田綱秀が、北条氏照軍に攻められ落城した 辛垣の戦いの際、現在軍畑大橋の架る多摩川一帯がまさに戦(いくさ)の場となったことが、軍畑という風変わりな地名の由来とあります。軍畑駅の裏手には鎧塚があり、その戦で討ち死にした兵士や、鎧兜を埋葬した塚だという言い伝えがあるそうです。

 一方、対岸の軍畑大橋したには「軍畑の渡し」の碑が建てられていて、かつてそこに渡し船や、丸太の仮橋がかけられていたこと説明しています。

 そこで、アイヌ語≒縄文語を適用して「いくさばた」を読み解くと、

 ikusa   イくサ    川を舟で渡す

 hattar  はッタ   水が深くよどんでいるところ

まさに、渡し舟があるという地名になっています。これが「いくさはった」→ いくさばた に転訛したのではと考えます。

 この「いくさ」という地名は、私の知る限りでは、東京都杉並区井草、埼玉県比企郡川島町伊草 が見られます。杉並区井草は、現在は平地のようになっていますが、石神井川や妙正寺川が付近を流れ、縄文海進の時代には湿地帯だったかもしれません。川島町伊草は越辺川(おっぺがわ)のほとり位置し、入間川との合流点です。

 これらから類推して、「いくさばた」は「渡し舟の淵」という解釈が成り立つのではないでしょうか。

軍畑大橋

軍畑大橋から下流側を望む