異形

 

正中の変 2回目

 

後宇多院は正中元年(1324)六月に五十八歳で没した。

後醍醐天皇にとって後宇多院は厄介な存在だっただろう。

後醍醐天皇は、

「院を手厚く葬れ」

と廷臣に命じた。

祖父の亀山院が死去した時、後醍醐天皇はその死を悼む和歌を詠んだ。

しかし父の後宇多院の死に在っては、後醍醐天皇のそのような和歌は存在していない。

後醍醐天皇は父から解放された気がしたことだろう。

後醍醐天皇がひとり夜空を見上げた時、天空の凶星は輝きを増していた。

後醍醐天皇は、

(わが星は明るい)

と感じた。

後宇多院の死で、後醍醐天皇の『治世』となったが、新しい葛藤の始まりでもあった。

東宮邦良親王が後醍醐天皇の強力なライバルとなった。

邦良親王は正中元年八月に六条有忠を鎌倉へ派遣し、幕府と皇位譲渡の交渉をさせたのである。

鎌倉幕府の内部には、邦良親王を践祚させたいと考える勢力があった。

これらに反発して、後醍醐天皇は幕府に譲位の繰り延べを要請した。

後醍醐天皇は皇位の譲渡を拒み続けた。

 

次回は明日書きます。