二度目の別れを経験してる。

昨日の残影で一日を過ごした。


無駄だとわかっていても

僕は想ってしまう。

悲しんでしまう。

僕がどれほど悲しんだところで

なにひとつ変わらない。それは十分わかっているのだけれど。


ピアノの鍵盤をポンと叩いたその音で

どうにか押し留めていた感情が溢れてしまう。

嘔吐するように

成す術もなく、それが出き切ってしまうまで

流れ落ちていく残影と遠い記憶を眺めているだけ。




ただ、目の前の人が

一緒に笑ったり泣いたりした人が

気持ちを預け合えた人が

とてもとても大好きだった人が

悲しい思いをしているのが耐えられないだけなんだ。

それをそのままにしておくしかない今を呪いたいんだ。

何一つしてあげられない自分が許せないんだ。


偽善とか、格好をつけたいとか

僕もそう思いたいけど

そんな余裕が欲しいよ。

そんな余裕をいつか得たいよ。


どうにもならないものは、どうしようもない。

そんなこと僕にだってわかる。

僕はそんなに恵まれた人生を歩んできたわけじゃないし

自分のことなら淡々と受け入れることだってできる。

そういうことに、僕は慣れている。








僕こそここに留まってはいけない。

僕の生きる場所ではない。

そこでは、僕が大切にしているものたちが

誰かをきっと幸せにすると信じられるものたちが

人を苦しめることになる。

気持ちを逆撫でる。

そして僕は、

信じているものたちを貶められていくのが耐えられない。

僕が居てはいけない場所なんだ。



闇を手探りで歩くなんてこと

僕には特別なことじゃない。

むしろ、ずっと闇の中にいた気がする。

敷かれたレールの上を歩いていた頃

ずっと昔、もう思い出すこともできない。


それだって、目を凝らしてみれば

小さな希望も見えたんだ。

最初、それはテレビの中の架空の話だったり

誰かの伝記の滑走路に落ちていたり。


もちろん、それは僕のものではなくて

それが本当に希望なのか

不安を抱えながら

それでも、それしか見えないから

辿るしかなくて。


いつか僕は自分の希望を見つけて

でも、道に迷って諦めたり、突然、消えてしまったり

もっと大きな、たしかなものを、信じきれるものを見つけたいと願って

ようやく、本当にようやく見つけることができた。



これまで僕が生きるってことは

そういうことだった。

僕はその過程で、たくさんの人と出会い

たくさんの人と別れ

ある人は僕と一緒に歩んでくれて

ある人は僕の妨げになり

ある人は僕の歩き方を馬鹿にもしたし

好感を持ってくれた。



人生は苦であると、お釈迦様は言ったけど

実感を持って、僕はその通りだと思える。


現実は深い闇に覆われていて

すべての人と共感しあえることはなく

どれだけ大きな感情でも、あるとき露と消えてしまう。

たとえそれが愛情だったとしても。



僕はたぶん、それなりに幸せな家庭に育ち

それなりに幸せな人間関係の中で

それなりの苦労や喜びを感じながら生きてきた。

特別な不幸を背負ったこともないし

特別な幸運を掴んだこともない。


それでさえ、僕はそういうものだと思えた。

考え過ぎてるわけでもなく

とても自然なかたちで実感できた。




深い闇に生きざるを得ないのだから

希望や理想のために生きようと思う。


共感しあえないからこそ

言葉を尽くそうと思う。


気づけば、消えたり、変わってしまう感情だからこそ

惜しみなく、でもとても大切に扱いたいと思う。



どうしてそんなものに目を奪われるんだろう。

そんなの当たり前のことじゃないか。

どうあれ時間は刻一刻と過ぎていく。

後戻りはできないんだ。


後戻りできないから後ろを見るんだ。

悲しいからたくさん笑うんだし

寂しいから一緒にいたんじゃないか。

人は必ず死ぬから生きようとするんだ。

どうしてそれを。