まず、前提として
今起きていること、今起きた事実に対して
どうあるべきかを考えるわけではなく
僕はもっと根本的な、原則的なことを考えたいんだ。
要するに、今回の元事務次官連続襲撃事件という事実
それを受けて、国民の反応。反応の理由を問題にしたいわけじゃなく
これを1つの例として、原則的にどう考えればいいのか?ということ。
具体的に言えば、
人は生きる権利がある。基本的人権がある。
殺人は最大の人権侵害で、重大な法律違反であり、反社会的行為だ。
だけども、その殺人という行為を多くの国民が積極的ではないにしろ共感した。
なぜ共感したのかと言えば、一連の年金問題がある。
想像しがたいくらいの不祥事がある。
法律的にというより、心情的に重大な罪だと思える。
ある人は大量殺人に匹敵するほどの、それ自体がテロだと言われるほどの罪で
しかも、その責任を誰も引き受けていない。野放し状態にある。
僕が考えたいのは
国民の同意、コンセンサスというものが
どのくらいの重みを持つのかだ。
法律と国民の同意の対立。
もちろん、民主制である以上、原理的に対立しないもので
仮に対立したとしても、軍配は間違いなく法律にあがる。
それは日本が民主制という政治体制にある法治国家だからだ。
確固たる答えが既にある。
だけども、その確固たる答えよりも、国民の同意に加担したい気分がある。
すっきりしない、腑に落ちないところがあり、その答えどおりに受け止められない気分がある。
今回の事件で言えば
心情的に、道徳的に、一連の年金問題を起こした官僚を許すことができないし
法律的に問題があるにせよ、人が亡くなってる事実があるにせよ
この件に限り、殺人という行為に共感してしまうんだ。
当たり前のようにあるものを
どうして当たり前にあるのか、その構造が知りたい。
少しの間、そういうことをしてみようと思う。
今起きていること、今起きた事実に対して
どうあるべきかを考えるわけではなく
僕はもっと根本的な、原則的なことを考えたいんだ。
要するに、今回の元事務次官連続襲撃事件という事実
それを受けて、国民の反応。反応の理由を問題にしたいわけじゃなく
これを1つの例として、原則的にどう考えればいいのか?ということ。
具体的に言えば、
人は生きる権利がある。基本的人権がある。
殺人は最大の人権侵害で、重大な法律違反であり、反社会的行為だ。
だけども、その殺人という行為を多くの国民が積極的ではないにしろ共感した。
なぜ共感したのかと言えば、一連の年金問題がある。
想像しがたいくらいの不祥事がある。
法律的にというより、心情的に重大な罪だと思える。
ある人は大量殺人に匹敵するほどの、それ自体がテロだと言われるほどの罪で
しかも、その責任を誰も引き受けていない。野放し状態にある。
僕が考えたいのは
国民の同意、コンセンサスというものが
どのくらいの重みを持つのかだ。
法律と国民の同意の対立。
もちろん、民主制である以上、原理的に対立しないもので
仮に対立したとしても、軍配は間違いなく法律にあがる。
それは日本が民主制という政治体制にある法治国家だからだ。
確固たる答えが既にある。
だけども、その確固たる答えよりも、国民の同意に加担したい気分がある。
すっきりしない、腑に落ちないところがあり、その答えどおりに受け止められない気分がある。
今回の事件で言えば
心情的に、道徳的に、一連の年金問題を起こした官僚を許すことができないし
法律的に問題があるにせよ、人が亡くなってる事実があるにせよ
この件に限り、殺人という行為に共感してしまうんだ。
当たり前のようにあるものを
どうして当たり前にあるのか、その構造が知りたい。
少しの間、そういうことをしてみようと思う。