どこかで宋文洲という

ソフトブレーン会長の論説を読んだ。

一部上場の会社の創業者なんだけど、その世界ではかなり有名らしい。

現状、ソフトブレーンの株価は一時の半値以下に落ち込んでて

東証二部に落ちてしまいそうな勢いだけど。


その宋文洲さんの論説は

日本人は「努力」を勘違いしている。と、いうもので

読むとなかなかその通りだと納得できた。


「努力は必ず報われる」は嘘だと。

成功は確率の問題で交通事故のように無数の偶然の産物

もちろんそこに努力は必要だけど、「成功=努力」では決してないのだと。


で、大事なことは成功の確率をあげるための努力をすることで

目標まで辿りつく効率的な道を、方法を探すこと。


そして彼は言うんだ。「大きな自由のため、より小さな自由を手放しただけ。」

努力や苦労をしたって意識したことが無いんだそうな。



まぁ、あとは日本人的な思考の側面的な批判。

「これまでの努力が無駄になる」と、逃げずに突き進むことや

成功には必ず苦労があると決めてかかること。

日本人の努力には悲壮感があると

無理をするのが努力じゃなくて、やれることしか出来ないのが人間だから

「やればできる」じゃなくて、「できることをやればできる」と。




まず、「成功する」ってことが人生の目標としてあるなら

たしかにその通りだと思う。


僕も目標のない努力は嫌いだし

これまで進んでしたことは一度もないよ。

これまでずっと人生の目標、生き方を探し続けてきたのは

無駄な努力を、間違った道のりを歩くことが嫌だったから。

もうね、そういうの気持ちが悪いんだよね

「いったい自分は何をしてるんだろう?なんのためにこれをしてるんだろう?」ってさ

ずっと悩みながら何かをしなきゃならない。そういうのが気持ち悪いんだ。


まぁ、その目標や生き方を探すのに随分時間を使ってしまったから

どっちが無駄なのかよくわからないけどさ。


人間は無理なんかできない。

やれることしかできない。

これはまったくその通りだと思うね。


たいがいの悩みってさ、ここをうまく切り替えできないから生まれるんじゃないかと思うんだ。

できないことはできないんだ。

だからそれについて悩むことは無意味だよ。

なにも自分ひとりでやらなくたっていいんだ。

やれる人に任せればいいのさ。そのために対価を払う必要はあるけれども。


「大きな自由のため、より小さな自由を手放しただけ。」

こういう考え方、僕は好きなんだ。

ロジカルというか、体系的、システマチックというか

仮にあったとしても偶然性のようなものを体系に組み込まない思考というのか

運を自分の前に立たせないこと。

運に頼る状況に立たないこと。


僕は運に裏切り続けられてきたからさ

もうそういう状況になったら負けだと思ってる。

だから、たとえどちらか片方の選択が大きな利益を生むとしても

もう片方がそれに見合うくらいの損失だったら

僕は選択しない道を選ぶ。賭けに出るようなことは一切しないと決めてるんだ。


もちろん得られる利益と損失とを比べて

値する賭けだと思えばやるけれどもさ。



日本的な思考の批判も納得できるよ。

「努力が無駄になる」で突き進んだ戦争もあったしね。

日本人が何かを賭けるときってさ

たいがいそういう感じになるよね。


「ここで諦めたら、死んでいった人に申し訳が立たない!」

吉田松陰が死罪になって

奮起した長州の志士みたいにさ

正しい論理だけじゃ人は動かないよ。情緒的な正さも必要なんだ。

論理よりも情緒の方がずっと人を動かすよ。


薩長同盟のときも、

過去、志半ばで倒れた仲間たちを坂本龍馬が語って

決まるシーンがあるしさ。

史実かどうかわからないけどね

でも、創られたエピソードなら

逆に情緒が人を動かす証明にもなるよね。

だって物語のエピソードは読者の共感を得るためにあるわけだからさ。



たしかにさ、情緒が著しく優先されてしまうと

間違えることも多くなるし、事が終わると収拾が難しくなる。

西南戦争的なね

西南戦争の賛否は別にして

たとえ思慮の足りないものだとしても、欠陥だらけの論理だとしても

情緒の原動力は簡単にそれらを凌駕して人を動かすよ。

人は論理じゃ死ねないけど、情緒で死ねるものだ。


だけど、僕はそういう日本的思考が大好きなんだ。

そうして情緒で乗り越えて、他の国の人々をアッと言わせることもある。

執着を捨て、美しく生きることもできる。

許しあうこともできる。

そういう情緒の影響を許してしまう土壌が

思いやりのある、優しい日本人を育てたんだ。



要はさ、使い方なんだと思うよ。

悲壮感や人知れぬ苦労や努力が

それほど人を動かす社会ならばさ

「それはおかしい!」って言うんじゃなく

そこをうまく利用させてもらえばいいのさ。


目新しい理論や斬新な意見

虚をつかれるような常識の逆転はさ

人をたしかに酔わせるし、人の行かない道だから

成功もずっと近づくかもしれないけどさ

それはあくまでも一時的だよ。

伝統や慣習はそう簡単に覆るものじゃない。



だけどさ、この論説をね

成功する人と失敗する人

そういう捉え方だけに留めるのは勿体無い気がするね。


自分がどうのじゃなくさ

この社会をどうするか考えるとき、ヒントになる気がするんだよ。

今、必要なものは何か?って

違うな、日本人が必要とするものは何か?ってね。