嫌いな言葉ってあります。
流行り言葉はほとんど使いません。
もう誰も使ってないだろうけど、「KY]とか
もう少し前なら「イケメン」とか。
キーボードを叩いて文字を並べるだけで寒気がします。
一体誰がどうのような目的で、どんな心持を表現したいのか
僕にはまったくわかりません。
どうして恥ずかしくならないのかまったくわかりません。
はっきり言って、本気でそのような言葉を使ってる人に会うと僕は哀れみます。
たぶんなにか大切なものが欠落してるんだろうと
もしかすると親にスポイルされてきたのかもしれない。
トラウマを抱えてるのかもしれない。
檻の中で育って、最近外に出てきたばかりなのかもしれない。
客観性の欠如です。
きっと僕の様に思ってる人、たくさんいるんじゃないかと思います。
いろいろ考えて言わないだけで。
僕にはわからないのです。そうする意味が。
KYと、空気が読めないことの違いは?
格好いい顔の男の子と、イケメンの違いは?
本来銘々とは便宜上のものだと思います。
他のものと区別するために銘々するわけです。
彗星を発見したら、発見した人の名前が付けられます。
もし銘々しなければ、どの彗星も彗星と呼ばれ、どれがどれだかわからなくなります。
でも、KYやイケメンには
そう呼ばざるを得ない事情はまったくありません。
ですから、本質とは違うもっと別な意図がそこにはあるのです。
まず最初に考えられるのは
省略することで、口に出しやすくしたり、文字数を削減できることです。
実際、空気を読めないこと。と、書くよりKYの方がずっと楽です。
でも、そんなこと誰も言ってません。
僕みたいな人間は、逆に恥ずかしくて辛いですし。
もう1つは
独自の言葉を作り使うことで仲間意識を高めることです。
KYやイケメンは、たぶんそっちじゃないかと僕は思っています。
出自を考えれば、イケメンはゲイが使用していた言葉らしく
KYは90年代のコギャルと呼ばれた人たちだそうです。
ゲイにしろコギャルにしろ
コギャルって言葉も寒気がしますけど
少数派、マイノリティですから
仲間意識はとても大事になります。
僕はその仲間内の言葉として使用されるイケメンやKYなら許せるのです。
そこにはそうせざるを得ない事情がありますし
そうすることで得られるものがたくさんあります。
彼ら、彼女らの間では
格好のいい男の子の顔では言い切れないものがあるのだと思います。
イケメンと言ったときにしか得られない雰囲気や匂いや気持ちがあるのです。
同じように、KYと言ったときにしか得られない、共有できない様々な感情があるのです。
たぶん、僕がなぜ恥ずかしいと感じるのか
その類の言葉が嫌いなのか
それはきっと僕が、彼ら、彼女らの仲間ではないからです。
借りてきた人の言葉だからです。
そこに含まれる雰囲気や匂いや気持ちもわからない、まったくの部外者だからです。
一応、僕は部外者であることを自覚してるのです。
部外者は部外者なりに弁えなきゃいけないことがあるのです。
仲間ではない人間が使用することの違和感、部外者の違和感
そういうものをヒリヒリと感じてしまうのです。
まだ、彼らを嘲笑する意味で使用するなら許されるし
照れながらわざと使ってみるのも楽しいですけど
でも、その辺にまったく配慮なく
当たり前のように使っているのを聞くと
もう、どうしようもなく恥ずかしくなります。
プロ野球選手の前でバッティングのコツを指導するくらい
テレビで見た面白い話を
自分のもののように話をして
「それ、テレビで見たよ」と、指摘されるくらい恥ずかしくなります。
まったく、なんて皮肉なんでしょう。
そういう違和感をまったく抱けない人たちが
空気が読めない人を見つけてKYと言い罵るのです。
悲しいくらい空気が読めていないじゃありませんか。
もちろん僕にも足りないところはたくさんあります。
間違いもたくさん犯します。
ですが、もう少し慎重に言葉を選ぶべきだと思うのです。
どんな人がどこで話を聞いているかわからないのです。
自分の知る限られた世界を、すべてだとは思わないことです。
世界は可能性に満ち溢れています。
良い意味でも悪い意味でも
どちらか片方なんてないのですから。
流行り言葉はほとんど使いません。
もう誰も使ってないだろうけど、「KY]とか
もう少し前なら「イケメン」とか。
キーボードを叩いて文字を並べるだけで寒気がします。
一体誰がどうのような目的で、どんな心持を表現したいのか
僕にはまったくわかりません。
どうして恥ずかしくならないのかまったくわかりません。
はっきり言って、本気でそのような言葉を使ってる人に会うと僕は哀れみます。
たぶんなにか大切なものが欠落してるんだろうと
もしかすると親にスポイルされてきたのかもしれない。
トラウマを抱えてるのかもしれない。
檻の中で育って、最近外に出てきたばかりなのかもしれない。
客観性の欠如です。
きっと僕の様に思ってる人、たくさんいるんじゃないかと思います。
いろいろ考えて言わないだけで。
僕にはわからないのです。そうする意味が。
KYと、空気が読めないことの違いは?
格好いい顔の男の子と、イケメンの違いは?
本来銘々とは便宜上のものだと思います。
他のものと区別するために銘々するわけです。
彗星を発見したら、発見した人の名前が付けられます。
もし銘々しなければ、どの彗星も彗星と呼ばれ、どれがどれだかわからなくなります。
でも、KYやイケメンには
そう呼ばざるを得ない事情はまったくありません。
ですから、本質とは違うもっと別な意図がそこにはあるのです。
まず最初に考えられるのは
省略することで、口に出しやすくしたり、文字数を削減できることです。
実際、空気を読めないこと。と、書くよりKYの方がずっと楽です。
でも、そんなこと誰も言ってません。
僕みたいな人間は、逆に恥ずかしくて辛いですし。
もう1つは
独自の言葉を作り使うことで仲間意識を高めることです。
KYやイケメンは、たぶんそっちじゃないかと僕は思っています。
出自を考えれば、イケメンはゲイが使用していた言葉らしく
KYは90年代のコギャルと呼ばれた人たちだそうです。
ゲイにしろコギャルにしろ
コギャルって言葉も寒気がしますけど
少数派、マイノリティですから
仲間意識はとても大事になります。
僕はその仲間内の言葉として使用されるイケメンやKYなら許せるのです。
そこにはそうせざるを得ない事情がありますし
そうすることで得られるものがたくさんあります。
彼ら、彼女らの間では
格好のいい男の子の顔では言い切れないものがあるのだと思います。
イケメンと言ったときにしか得られない雰囲気や匂いや気持ちがあるのです。
同じように、KYと言ったときにしか得られない、共有できない様々な感情があるのです。
たぶん、僕がなぜ恥ずかしいと感じるのか
その類の言葉が嫌いなのか
それはきっと僕が、彼ら、彼女らの仲間ではないからです。
借りてきた人の言葉だからです。
そこに含まれる雰囲気や匂いや気持ちもわからない、まったくの部外者だからです。
一応、僕は部外者であることを自覚してるのです。
部外者は部外者なりに弁えなきゃいけないことがあるのです。
仲間ではない人間が使用することの違和感、部外者の違和感
そういうものをヒリヒリと感じてしまうのです。
まだ、彼らを嘲笑する意味で使用するなら許されるし
照れながらわざと使ってみるのも楽しいですけど
でも、その辺にまったく配慮なく
当たり前のように使っているのを聞くと
もう、どうしようもなく恥ずかしくなります。
プロ野球選手の前でバッティングのコツを指導するくらい
テレビで見た面白い話を
自分のもののように話をして
「それ、テレビで見たよ」と、指摘されるくらい恥ずかしくなります。
まったく、なんて皮肉なんでしょう。
そういう違和感をまったく抱けない人たちが
空気が読めない人を見つけてKYと言い罵るのです。
悲しいくらい空気が読めていないじゃありませんか。
もちろん僕にも足りないところはたくさんあります。
間違いもたくさん犯します。
ですが、もう少し慎重に言葉を選ぶべきだと思うのです。
どんな人がどこで話を聞いているかわからないのです。
自分の知る限られた世界を、すべてだとは思わないことです。
世界は可能性に満ち溢れています。
良い意味でも悪い意味でも
どちらか片方なんてないのですから。