恋というのはまったく不思議なものです。
まず恋をするには相手が必要です。
最近では人間以外に恋をする人も増えましたけど
どうあれ相手、対象は必要なのです。
なのに、その恋を成長させるのは孤独です。
恋の相手と向き合ってお茶を飲みながら会話を楽しむ最中に
どうしてか成長することはありません。
家に帰り、1人で回想し
何気なく流されていった言葉や表情や仕草から
裏側にある真実を探し訪ねるとき、恋は成長するのです。
どうせ結論なんか出やしません。
どんなに上手に論理立てようが
決定的な言葉や行動をされない限り
悲しい想像には希望が生まれ、喜ばしい想像には不安が生まれます。
そして、その相手が側にいない今
誰かが自分と同じように恋をしてしまうんじゃないかと、
相手が誰かに自分と同じように恋をしてしまうんじゃないかと
恋に繋がる出来事が起きてるんじゃないかと
自分といるよりも素敵な笑顔を見せているんじゃないかと
重く圧し掛かるような不安を抱えてしまうのです。
こうして熱くなる心が
手前の方にずっと引き上げられて
まるで皮膚を擦りむいたように、少しの風にヒリヒリと痛むのです。
少しの振動に顔をしかめるのです。
なぜ、孤独が恋を成長させるのでしょうか?
僕はそこに交換が生まれるからだと思います。
もちろん、誰かと何かを交換するわけではありません。
自分の心の中で、相手の言葉が、仕草が、表情が交換されるのです。
昨日テーブルに向かい合った相手の口から実際に語られた言葉と
その言葉から導き出された想像の本心。
ある出来事から生まれた想像と、
またある出来事から生まれた想像が交換され、新たな想像が生まれる。
そうです。交換により付加される価値。
想像と想像が交換され続けることで、どんどんと恋は成長していくのです。
恋は幻想なのです。
想像と想像の交換によって膨らんだ幻想なのです。
ですから、ある程度相手を知ることは恋を成長させます。
現実が1つも加味されていない想像なんて無意味で無力です。
大事なことは、現実から生まれた想像と、現実から生まれた想像の交換なのです。
そしてそのある程度を過ぎてしまえば、急速に恋は萎んでいきます。
現実が想像を追いやるのです。想像の居場所がどんどん狭められていくからです。
こうして恋は消えていくか、愛に変わるかするのだと思います。
ただ、現実の相手を捉えることで、それまでの想像を忘れることがあります。
どこまでが現実でどこが想像なのかわからなくなるのです。
想像が小さく小さくなることで
現実と想像の区別が難しくなり、すべてが現実だと勘違いして間違いを犯します。
まったく恋とは切ないものです。
観客のいない劇場で、不幸の物語を1人芝居するようなものです。
はたして恋は幸か不幸か?
易々と幸福だなんて言えませんね。
むしろ僕は恋を不幸だと思います。
大半が苦しみなのに、それを期待し待ち続けるのですから間違いなく不幸です。
まず恋をするには相手が必要です。
最近では人間以外に恋をする人も増えましたけど
どうあれ相手、対象は必要なのです。
なのに、その恋を成長させるのは孤独です。
恋の相手と向き合ってお茶を飲みながら会話を楽しむ最中に
どうしてか成長することはありません。
家に帰り、1人で回想し
何気なく流されていった言葉や表情や仕草から
裏側にある真実を探し訪ねるとき、恋は成長するのです。
どうせ結論なんか出やしません。
どんなに上手に論理立てようが
決定的な言葉や行動をされない限り
悲しい想像には希望が生まれ、喜ばしい想像には不安が生まれます。
そして、その相手が側にいない今
誰かが自分と同じように恋をしてしまうんじゃないかと、
相手が誰かに自分と同じように恋をしてしまうんじゃないかと
恋に繋がる出来事が起きてるんじゃないかと
自分といるよりも素敵な笑顔を見せているんじゃないかと
重く圧し掛かるような不安を抱えてしまうのです。
こうして熱くなる心が
手前の方にずっと引き上げられて
まるで皮膚を擦りむいたように、少しの風にヒリヒリと痛むのです。
少しの振動に顔をしかめるのです。
なぜ、孤独が恋を成長させるのでしょうか?
僕はそこに交換が生まれるからだと思います。
もちろん、誰かと何かを交換するわけではありません。
自分の心の中で、相手の言葉が、仕草が、表情が交換されるのです。
昨日テーブルに向かい合った相手の口から実際に語られた言葉と
その言葉から導き出された想像の本心。
ある出来事から生まれた想像と、
またある出来事から生まれた想像が交換され、新たな想像が生まれる。
そうです。交換により付加される価値。
想像と想像が交換され続けることで、どんどんと恋は成長していくのです。
恋は幻想なのです。
想像と想像の交換によって膨らんだ幻想なのです。
ですから、ある程度相手を知ることは恋を成長させます。
現実が1つも加味されていない想像なんて無意味で無力です。
大事なことは、現実から生まれた想像と、現実から生まれた想像の交換なのです。
そしてそのある程度を過ぎてしまえば、急速に恋は萎んでいきます。
現実が想像を追いやるのです。想像の居場所がどんどん狭められていくからです。
こうして恋は消えていくか、愛に変わるかするのだと思います。
ただ、現実の相手を捉えることで、それまでの想像を忘れることがあります。
どこまでが現実でどこが想像なのかわからなくなるのです。
想像が小さく小さくなることで
現実と想像の区別が難しくなり、すべてが現実だと勘違いして間違いを犯します。
まったく恋とは切ないものです。
観客のいない劇場で、不幸の物語を1人芝居するようなものです。
はたして恋は幸か不幸か?
易々と幸福だなんて言えませんね。
むしろ僕は恋を不幸だと思います。
大半が苦しみなのに、それを期待し待ち続けるのですから間違いなく不幸です。