世界には幸福とたくさんの不幸と僕の人生があった。
僕はそこで様々なものを切り離しながら生きてきた。
どこかの国の事情を切り離し、この国の事情を切り離し、世間の事情を切り離し、家の事情を切り離し
臆病な僕がどうにか生きるための努力をし
与えられる課題は流れ作業的に
たくさんの物足りなさに、ときどきの満足
世界がそうであるように、僕は生きてきたんだ。
そしてこれからもそうあり続けると思っていた。あるときまで。
ある日、僕は小さな箱を道で拾った。
誰にも気づかれないように、家に持ち帰って開けてみた。
僕は不用意過ぎたんだ。人生に対して。
そうやって僕は大きな問題を抱えることになった。
「本当にそれでいいの?」
「いったいそれは何のためにしているの?」
「それでどうなるの?」
それ以来、僕はいつも問われ続けた。
なにをしていても、問われ続けた。
誰でもない僕自身に、うんざりするくらい。
そうなると僕にはもう選びようがなかった。
立ち止まるしかなかった。
時間は淡々と過ぎていく。
みんなはどんどん先に進んでいく。
もちろん焦りはあった。人並から外れることは怖かった。
でも、答えのない世界で問われ続けながら生きることができなかった。
答えはどこにでもあった。
だけど、それは帽子選びよりずっと個人的なものだった。
どう生きるべきか?じゃなく、僕がどう生きるべきか?なんだ。
「僕」がなければなんの意味も持たないんだ。
なんどか答えのない世界を生きようとした。
でも、どうしても馴染むことができなかった。
気がつけば、問いかける僕自身は、僕と一体化していて
腑に落ちない苛立ちが僕を悪質なものに変えてしまう。
だから、僕は美しさに逃れるしかなかったんだ。
じたばたしたんだ。
大切な人を失ったり
居場所を自ら放棄したり
後悔したり、希望を持つように努めたり。
無視したり、固執したりした。
なんで僕はもっと自然に
みんなみたいに生きられないんだろう?
どうあっても時間は限られてるというのに。
僕を好きになってくれる人は、僕の生き方を個性的だと褒めてくれる。
だけど僕を愛してくれる人は、僕の生き方を認めてはくれない。
それはしかたのないことだ。
だけど、僕は自分で選んだんじゃないんだ。
偶然、たまたま箱を拾って開けてしまった。
個性的でもなんでもない。
この生き方しかできなくなってしまっただけなんだ。
できることなら、すぐにでも
僕は違う生き方がしたかったんだ。泣きたいくらいに。
そして僕はここで、切り離したものたちを集めて1つにすることにした。
僕と家と世間と国と世界と歴史と思いやりと恋と喜びと悲しみと生と死と
この世界のありったけのものを1つにしようとした。
すべてのカギは関係性だったんだ。
矛盾が僕の中で1つになった。たぶんなった。
すべてが解けたわけじゃない。僕にそんなことはできない。
だけども、僕なりにすべてが2つにも4つにも100にも1000にもなって1つになった。
そう、僕なりに。
「僕」なりに。
僕が誰であるかを僕は知ることができた。
ようやくにして、「僕が」どう生きるべきか?の僕を見つけた。
もちろんそれが揺るぎない真実かどうかはわからない。
ある日突然、また小さな箱がやってくるかもしれない。
でも、僕は揺るぎなくそれを信じることができる。
そう、信じることができるんだ。
僕は素敵なものを探すために生きる。
そして関与する。
旅ではなく冒険だ。
素敵なものをめぐる冒険。
蛇やさそりに襲われたり、野宿したり身包みはがされたり
たくさんの犠牲を覚悟して
生涯を素敵なものをめぐる冒険に費やす。
それが僕の生きる意味だと信じる。どうあれ信じ続けていく。
迷わずに、どうあれ迷わずに。
費やしてきた歳月が、あまりのくだらない答えに笑ってしまうかもしれないけど
僕は今、誰よりもきっと自由になったと思う。
もし、適切に共感してくれるなら嬉しいけど
たぶん、きっと僕にしかこの素晴らしさはわからない。
「他人はどうだっていい」
はじめてそれを言える。言い切れる。
こうして僕は僕を探す旅を終え、ついに冒険に出る。
人生のすべてを懸けて。
これが僕の答え。
30年目にしてようやくたどりついた、僕はどう生きるべきか?の答えだ。
僕はそこで様々なものを切り離しながら生きてきた。
どこかの国の事情を切り離し、この国の事情を切り離し、世間の事情を切り離し、家の事情を切り離し
臆病な僕がどうにか生きるための努力をし
与えられる課題は流れ作業的に
たくさんの物足りなさに、ときどきの満足
世界がそうであるように、僕は生きてきたんだ。
そしてこれからもそうあり続けると思っていた。あるときまで。
ある日、僕は小さな箱を道で拾った。
誰にも気づかれないように、家に持ち帰って開けてみた。
僕は不用意過ぎたんだ。人生に対して。
そうやって僕は大きな問題を抱えることになった。
「本当にそれでいいの?」
「いったいそれは何のためにしているの?」
「それでどうなるの?」
それ以来、僕はいつも問われ続けた。
なにをしていても、問われ続けた。
誰でもない僕自身に、うんざりするくらい。
そうなると僕にはもう選びようがなかった。
立ち止まるしかなかった。
時間は淡々と過ぎていく。
みんなはどんどん先に進んでいく。
もちろん焦りはあった。人並から外れることは怖かった。
でも、答えのない世界で問われ続けながら生きることができなかった。
答えはどこにでもあった。
だけど、それは帽子選びよりずっと個人的なものだった。
どう生きるべきか?じゃなく、僕がどう生きるべきか?なんだ。
「僕」がなければなんの意味も持たないんだ。
なんどか答えのない世界を生きようとした。
でも、どうしても馴染むことができなかった。
気がつけば、問いかける僕自身は、僕と一体化していて
腑に落ちない苛立ちが僕を悪質なものに変えてしまう。
だから、僕は美しさに逃れるしかなかったんだ。
じたばたしたんだ。
大切な人を失ったり
居場所を自ら放棄したり
後悔したり、希望を持つように努めたり。
無視したり、固執したりした。
なんで僕はもっと自然に
みんなみたいに生きられないんだろう?
どうあっても時間は限られてるというのに。
僕を好きになってくれる人は、僕の生き方を個性的だと褒めてくれる。
だけど僕を愛してくれる人は、僕の生き方を認めてはくれない。
それはしかたのないことだ。
だけど、僕は自分で選んだんじゃないんだ。
偶然、たまたま箱を拾って開けてしまった。
個性的でもなんでもない。
この生き方しかできなくなってしまっただけなんだ。
できることなら、すぐにでも
僕は違う生き方がしたかったんだ。泣きたいくらいに。
そして僕はここで、切り離したものたちを集めて1つにすることにした。
僕と家と世間と国と世界と歴史と思いやりと恋と喜びと悲しみと生と死と
この世界のありったけのものを1つにしようとした。
すべてのカギは関係性だったんだ。
矛盾が僕の中で1つになった。たぶんなった。
すべてが解けたわけじゃない。僕にそんなことはできない。
だけども、僕なりにすべてが2つにも4つにも100にも1000にもなって1つになった。
そう、僕なりに。
「僕」なりに。
僕が誰であるかを僕は知ることができた。
ようやくにして、「僕が」どう生きるべきか?の僕を見つけた。
もちろんそれが揺るぎない真実かどうかはわからない。
ある日突然、また小さな箱がやってくるかもしれない。
でも、僕は揺るぎなくそれを信じることができる。
そう、信じることができるんだ。
僕は素敵なものを探すために生きる。
そして関与する。
旅ではなく冒険だ。
素敵なものをめぐる冒険。
蛇やさそりに襲われたり、野宿したり身包みはがされたり
たくさんの犠牲を覚悟して
生涯を素敵なものをめぐる冒険に費やす。
それが僕の生きる意味だと信じる。どうあれ信じ続けていく。
迷わずに、どうあれ迷わずに。
費やしてきた歳月が、あまりのくだらない答えに笑ってしまうかもしれないけど
僕は今、誰よりもきっと自由になったと思う。
もし、適切に共感してくれるなら嬉しいけど
たぶん、きっと僕にしかこの素晴らしさはわからない。
「他人はどうだっていい」
はじめてそれを言える。言い切れる。
こうして僕は僕を探す旅を終え、ついに冒険に出る。
人生のすべてを懸けて。
これが僕の答え。
30年目にしてようやくたどりついた、僕はどう生きるべきか?の答えだ。