「この世界は欲望でできている」
僕はこれを前提にする。
まず、言語世界と現実世界を区別する。
言語世界は用いる言語によって思考・想像が行われる。
これは目に見えない世界だ。
そして、僕たちは思考に決定を下し、行為する。
行為された世界が、現実世界であり
僕たちの目に見える世界だ。
花や雲や海、人間以外の動物が言語世界を持つのかどうかはわからない。
だけど、僕たちの目に見える世界は、行為の世界でしかない。
もちろん、言語世界で行われる思考の決定が、
異なることなく現実世界に現せるかどうかはわからない。
想定外の現実など、どこにでもあるだろう。
むしろ僕は言語世界と現実世界の一致はほぼ不可能だと考える。
これは世界にある様々な問題と同質だ。
言語世界と現実世界
苦と煩悩
自身と他者
内政問題と外交問題
選挙権と被選挙権
マクロとミクロ
道徳と経済
国内経済と国外経済
もちろん、一対一の関係だけを考えるのは誤りだ。
道徳ならば経済と対立し、科学とも対立する
パターンは様々ある。
しかし、巨視的に考えれば「人間」の問題だ。
対立する双方を生み出したのは人間なのだから。
人間が必要としたから生み出されたのだから。
思考・想像した意見を調整し、それを行為する。
自然は思考するだろうか?
津波や地震や噴火は、思考の末の行為だろうか?
自然は自然であるから自然なのだろう。
だから、行為が世界を変えてしまうほどの力を持つのは
人間だけだと考える。
あらゆる対立は人間の外側に存在しないんだ。
人間の内側に存在する。
しかし、微視的に考えれば
あらゆる対立は内と外の対立だ。
支持する側を内と考え、支持しない側を外と考える。
どちらにせよ、人間とは何であるか?だ。
僕は欲望であると考える。
思考・想像は未来に向かう。
未来にしか向くことができないんだ。
なぜなら、現実は行為だからだ。
現在は行為という現実の世界にしか存在しない。
現在が過去になり、未来が現在になる。
その繰り返しである時間軸のパターンに
言語世界を表すことはできない。
言語世界は現在の後ろにあるもの。
現在のを経ることのない過去。
現実世界は言語世界に従う。
しかし、言語世界は現在に従う。
転倒することは絶対に有り得ない。
言語世界が未来に向かう以外の性質をもたないのだから
思考・想像は願望であり希望である。
ならばそれは欲望だと言えるだろう。
だから、世界は欲望でできている。
僕はそう考える。
ただし、これは結論じゃない。
まだメモ書きの段階だ。