先日、久しぶりに「朝生」を見たんだけど
北朝鮮問題と、核武装問題
なかなか面白かった。
まず、冒頭でのワシントンからの中継で
伊藤さんというアナリストと、田原さんのズレに興味を持った。
「核保有した北朝鮮の脅威があり、アメリカも中国も事実上、黙認せざるを得ず
アメリカの核の傘に疑問の余地があるのなら、
日本が核武装するなどの、自国の防衛力を高めようとすることは
至極当然の成り行きであり、止めろとは言えない」
アメリカのリアリストを代弁しているのかどうかはわからないが、
伊藤さんは、防衛というものに対して、独立国家が持つべき原理、思考の流れを語り
田原さんは、日本の核武装論議に対してのアメリカの反応を聞く。
聞いていることに対して、
それは「伊藤さんの意見だね」と、呆れる田原さんではあったが
防衛に対して持つ独立国家の原理が確認される前に、
他国との関係
要するに、核武装した場合のリスクとリターン
外交関係や国内の世論を含めた、損得の問題を語っているように感じる日本の議論は
場当たり的の議論のように感じてしまい、
一生懸命ドレスアップしたものの、そのパーティーが何のパーティーなのかわからない
田舎の成り上がり者の妻のような、
だから、次のパーティーにも前回の反省が生かされず、同じ失敗をしてしまう
臨機応変がきかない、いつまでたっても社交界で認められない。
僕はそのことが、根本的な防衛意識や、
独立した国家の持つべき思考が確立できない理由なのではないかと思ってしまう。
確かに、アメリカと日本の立場も力も状況も違う。
日本は当事者であり、アメリカは当事者の同盟国に過ぎない。
しかし、日本のリアリスト現実主義者は
結果に対して現実的であり
アメリカのリアリストは、原理について現実的であるように感じた。
障害を先に考えて手段を選ぶ日本と、原理を先に考え、障害を取り除く手段を考えるアメリカ
国民性の違いなのかどうかはわからないけれども、
やっぱり、パワーの違いがそうさせるのかと思う。
なにしろ、核武装の議論は
議論さえ許さないというような意見は出なかったものの
核武装の非現実性は良くわかった。
青山さんの「持ってはならない」ではなく、
国民の意思として「持たないのだ」という発言は最もだと思う。
が、国民が「持たないのだ」という意志を持つかどうかはわからない。
アンケート結果では、核武装を認める方が優勢だったし
今の現状は、
「持ってはならない」や「持てないのだ」という反核保有の論理しか語られていない。
「持たないのだ」という意志を、どう持たせるのか、方法は語られていない。
青山さんは、たぶん反核武装側の、センチメンタリズムが
逆に、反核の障害になっていると考えているのかもしれないが、
もし、そうならば僕もそれには同意できる。
これまで、様々な分野で発揮されてきた、左派の理想主義的なセンチメンタリズムは
教育にしろ、行政にしろ、それを隠れ蓑にした利権集団として表面化している。
「人」という生き物を考えた場合にも、
彼らのセンチメンタリズムは、人間を小馬鹿にしたような
一面的で、安易なお涙頂戴。
それは、新しく自由なメディアを持った現実主義者たちには
美味しいエサでしかない。
彼らが脅威する、若者の右傾化も
自分たちが作った、深みのないセンチメンタリズムに原因がある。
僕は彼らを絶対悪だとは思わないけれども、
現状、彼らの反対の意見を言えば
正しい認識であるとする風潮もわからなくもない。
そのくらい、左派のセンチメンタリズムは腐っている。
もし、反核を訴えるにしても、それを排除しなければ
まったくの逆効果であることは間違いないことだと思うから。
なにしろ高校生みたいだったけど
村田教授のブッシュは饒舌で面白かったし
ピースボートは福島さんほどの無茶を演じる時間も与えてもらえなかったけど
なんか、ものすごいことを言っているような口ぶりの中国の葉さんは健在だったし
なかなか楽しめた。