恒例というか、いつも書いてるから


朝まで生テレビの感想を。




今回のテーマは「日本はアメリカの属国なのか?」


語られる言葉まで想像できそうなテーマなので


あまり興味が湧かず、途中から見たのだけど


なんか、やたら張り切っていて思ったてたより、面白かった。





特に張り切っていたのが、田原氏から向かって右側に座る


親米側とでも呼べばいいのだろうか、


村田氏と志方氏の執拗とも思える追及に面白味があった。


しかし、少々大人気ない。


出演するたびに恥の上塗りをする福島瑞穂氏を


いくら追い詰めても、出るのはバイブレーター議員だけだ。



しかし、難解な言い回しと、低音の魅力で


独特の雰囲気を作り上げ、その議論の正誤を超えたところで


圧倒的な存在感を示していた姜尚中氏


親米側の攻めが、予想以上であったことに戸惑ったのか


魅力の低音はノイズ交じり、それが少々痛快でもあった。






とても不愉快な場面もあった。


対中外交についての議論で


ほとんどのパネリストが「必要以上の中国脅威論には問題がある」との意見で一致。


その中で、金美齢氏は「中国を甘く見すぎている」と発言。


しかし、司会の田原氏は


「金さんは台湾人だから、それでいい」と、なんとも悲しげな発言をした。


議論を面白くする為に仕組んだ、田原氏得意の、相手に激怒させる作戦なのかわからない。





台湾人であり、独立を願いそのために行動してきた金美齢氏


確かに、目的は台湾独立なのだから


日本で中国脅威論を煽ることは、利益になるだろう。


そして、感情的にも中国共産党を憎んでもいるだろう。



しかし、金美齢氏のこれまでの言論や、佇まいから


目的の為に情報を操作するような人物に見えるだろうか。


僕はそうは思わない。


金美齢氏が日本を語るときには、日本の為だけを想い語っている。


その結果、台湾独立に繋がれば良いと考えているとは思うが、


順序を間違えることは絶対にないと思える。絶対にだ。


議論の正誤に関係なく


そのことについて、僕は確信を持っている。




田原氏は、それを理解できないほど薄汚れてしまったのか、


人を測る能力が衰えたのか、僕の認識が間違っているのか


あまりにもお粗末な言葉に、僕は自分が言われたように憤慨してしまった。


金氏のような人には、最も言ってはいけない言葉だと感じたからだ。


すべてのパネリストの中で、最も筋道や佇まい、精神の美しさを意識し


表現している金美齢氏には、絶対に言ってはいけない言葉だ。


それは、走ることに人生を懸けたマラソンランナーに


「走ること」そのものを馬鹿にする行為と同様


たった一人の妻を、情熱的に献身的に愛し続けた人に


「妻」の醜さを、その妻を愛した行為を否定されるのと同様


僕は思い出すだけで不愉快になる。







そして、議論の内容については


双方共に、日本はアメリカの属国に近い状態であると言う認識で、


それではいけないと語っていた。


属国から脱する為に、選ぶ手段が違う。


その手段についての議論だったわけだ。



現実と理想で折り合いをつけようとする親米側


理想と現実で折り合いをつけようとする反米側


ただ、あまりに現実と乖離し、


目指すべき方向が、驚くほどの甘い認識の中に存在するという


状況から、明らかに親米側が有利だった。


現政権が、親米側であるにも関わらずだ。


それは、明らかに中国という共産党一党独裁の国家があるからだ。



やはり、親米的でありながら、是々非々ができる立場を作ることが


最も現実性があるように見え、政治も安定するだろうと思う。


しかし、そのために乗り越えなければならない障壁は巨大だ。


実は、東アジア共同体的な陳腐な理想が満載の政治姿勢の方が


現実的なのかもしれない。


追従し、配慮し、国益や誇りを失い続ければよいのだから。


そこでも是々非々なのだろうが、


これまでの中韓の日本への姿勢から


その是には彼らの欲望、悪意が露骨に表れるだろう


なにしろ、それを本末転倒と呼ばずして、何を呼ぶのかという事になる。




しかし、だからと言って


親米側が主張するような、憲法改正等の方向にも疑問を持つ。


是々非々を理想とする中で、


どこか、諦めや現実主義的発想が、理想を覆い隠してしまいそうな


不信感を拭いきれないからだ。


国民不在の感も否めない。





僕の意見は、あまりに理想主義的すぎるのかもしれないが、


やはり国民一人一人の意識改革が先だろうと思う。


そして、それを望むからこそ「愛国心」明記になるのかもしれないが、


愛国心の本質を明らかにしないことには、


学校で愛国心を評価するなんていう、馬鹿げた方向に進んでしまう。



愛国心の認識を議論するうえで、


その愛を示すものを問うことになるだろう。


何故愛するのか、何故自然と沸き立つのか


愛すべきなのかが、はっきりしてくるはずだ。





そして、それを守るという意志、それを愛国心とし


国民がそれを持つこと、覚悟を持つということになる。


そこで、守る為に必要な法律を作っていく。



確かに、法律を作り、法律の意義が国民に浸透していくと言う方向もあるだろう。


しかし、できれば国民の側から生まれるものであって欲しいし、


それが順序、手順として健全だと思う。



なにしろ、愛国心とは何か?


ここからはじめなくては、いつまでたっても神学論争だ。