16日に審議入りした「教育基本法改正案」


民主党からも対案が出され、「愛国心」や「宗教教育」


特に「愛国心」は内心の自由に踏み込むとして、


教育への権力の介入、不当な支配という意見もある。




確かに言える事として、現状の教育には問題があり


その1つに日教組教育はある。


しかし、それとは別に「愛国心」の明記については論じられるべきだ。




そして、教育現場で起こる、破廉恥極まりない不祥事の数々、


「愛国心」を育む教育など、ちゃんちゃら可笑しい。


人を想うことなどできない教師に


伝統や文化を語る資格などあるはずもないし、


それを理解し、教えることなどできるはずもない。






僕個人の意見として、


改正にはもちろん賛成だ。


疎かにされる「宗教教育」は


あらゆる分野で弊害になっていると感じる。


宗教に対する奇妙な恐れ、優越感、


そういったものは世界を知る上でも、文化の違いを乗り越える為にも


排除しなければならないし、そうすることで、妙な宗教に犯されることもなくなる。


教育現場での効果はまったく期待できないが。




「愛国心」の明記ついては、どうでもいい。


伝統と文化を尊重してもらえば、それでいい。


しかし、民主党案の前文や、議論を見て、


本当に、伝統や文化を理解しているのかどうか疑問だ。


いや、民主党案など、まったく理解していないとも思える。




「伝統、文化、芸術を尊び、学術の振興に努め、他国や他文化を理解し‥」


これが民主党案の前文にある、伝統・文化が記された部分だが、


結局、茶道や華道のようなものや、


建築物などの歴史ある物質的なものを尊べ


そう言っているようにしか見えない。




この程度の認識しか持てないから、他国の文化を理解せず


相手に委ねた外交しかできないのだ。




結局、人を知らないからこそ、このようなことが書けるのだろう


とりあえず、もういちど初恋をやり直すべきだ。




伝統や文化を知りたいのなら


表現されたものを、美しいなどと感じる以前に、


そこに辿りついた手順を知るべきだ。



言葉の裏側にある、心の揺れ動き


その言葉に至るまでの手順を想わずに、


一体人の何を理解しようというのか。






しかし、愛国心と戦争を結びつけて批判するのは誤りだろう。


基本的には、愛国心とは防衛なのだから。


ただ、韓国や中国のように、それを扇動することもできてしまう。


そこに危惧があるのなら、そうならない教育


愛国心の正しい認識を議論するべきだ。




なにしろ、議論が足りない。


未だ愛国心を排他的云々のみで語る人間もいるのだから。


なにしろ、郷土愛にしろ愛国心にしろ


未来と過去と、伝統や人の想い


一つ一つ深みを与えていかないと


何の意味も持たない。




なんか面倒くさくなった。


愛国心とは何か?なんて


本当はどうでもいいのだろう。


国会は政局にして


ネット上では右だ左だと言い合い


人を想えない人間は、頓珍漢なことを言う。




自分自身を、大切な人を、泣きたくなるような場所を、匂いを


失ってしまう悲しみを想像すらできないのか。


語る言葉を、信じるものを、積み上げてきた歴史を


何もなかったことのように変えられ、


それを当然のように生きる切なさを想うこともできないのか。


これこそ、「けだるい平和」そのものじゃないか。