中村紘子さんの1981年と1988年の演奏をEテレで聞いてから何となくずっと考えていたところへ、昨日オンラインの学習相談で服部土芳の「三冊子」を扱い、「不易流行」について恥ずかしながらお話をすることとなりました。
「流行」とは「はやり」ではなく、「時代に即して変化していく」こと。
この生徒さんがちょうど先日御園座で團十郎の舞台を見たと言うので、歌舞伎を例にして話したりも。
クラシックではどうなのでしょうか。
私自身、忠実に再現するだけでは物足りず、つたないながらも「私はどう表現するか」を歌でもピアノでも考えたい派ではあります。
でもそれはどこまで許されるのか。
たとえば、モーツァルトのピアノソナタで繰り返す時に装飾音を付けるピアニストが最近おられますが、これはどうなのか。
もっと言えば、コンクールで勝つための演奏を追及することも「自分らしさ」なのか。
「そんなんどっちゃでもええやないか。聞いて奏でて心地よいのがいちばんちゃうのか」と思う時もあるのですが。