清盛の弟で、歌道では藤原俊成の弟子。
一の谷へ出陣する際に、自作を書いた巻物を俊成に預けるシーン、大昔の大河ドラマ「新平家物語」では中尾彬さんが颯爽と演じられました。
その数年後、高1の夏休みの宿題にこの本文が出ました。
「さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」。
平家が滅んだ後、もはや朝敵なので、千載集に読み人知らずとして入ったという話。
「ながら」は長等山との掛詞。
今日出かけた大津の地名。
まさに地元ネタ。
あの夏から古文が好きになったように思います。
で、今日、行ってみたのですが、忠度の歌碑は見つけられませんでした。
三井寺も紅葉はまだ少し早かったですが、叔母の見舞いのついでに懐かしい風景の中に溶け込んで、結果的によき休日となりました。
大津から京都の大学を受験した時の気持ち、自分で自分の将来を切り開こうとした、ちょっとけなげな気持ちも思い出しました。