生命の教育研究所

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生命を大切にして 人として生きるとは どういうことなのか
このことは 教育によって 伝えることができると 思います

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私は 部下の育成が下手でした

 

昭和の職人が 技を盗め と言って

後輩を指導していたような ものでした

 

自分自身が そうやって成長したので

それ以外の方法が わからなかったのです

 

ですが コーチングの本を読んでいて

なぜ うまく育成できなかったのかに

気づきました

 

 

生徒も 同じですが

ひとは 学び方に好みが あります

 

本を読んで学ぶのが好きな人

説明を聞いて学ぶのが好きな人

じっくり考えるのが好きな人

話し合って学ぶのが好きな人

ノートに書きだして考えるのが好きな人

ワープロで整理するのが好きな人

 

個別最適化教育のところでも

触れましたが

生徒それぞれの特性に応じて

学びをサポートするように

リーダーは 部下の特性に応じて

育成するのです

 

そう簡単なことでは ありませんが

自分のやり方を 押し付けるだけでは

うまくいかないことの方が

おおいということを

認識しておかなくては なりません

 

 

コーチングにおいては とりあえず

人の傾向を

①コントローラータイプ

②アナライザータイプ

③プロモータータイプ

④サポータータイプ の 4つに分類します

 

①コントローラータイプは

自分の思ったように物事を進めようとします

過程より結果や成果を重視し

他人からの指示を嫌います

 

②アナライザータイプは

行動の前に情報収集をし分析をします

物事を客観的にとらえ ミスを嫌います

予定通りの行動を好み

変化や混乱は苦手です

 

③プロモータータイプは

自発的でエネルギッシュで

楽しく協働することを好みます

それゆえ人に好かれるタイプですが

飽きっぽく 粘り強さに欠けます

 

④サポータータイプは

人が好きで 人を援助することを好み

敏感であり 気配りをし

協力関係を大事にします

そのため自分の感情を抑えがちで

人から承認されることを 望みます

 

 

リーダーである校長は まず

自分が どのタイプの傾向があるかを

認識し 同タイプではない 部下に対して

育成方法を 変えなければなりません

 

校長や先生は プロのコーチでは ありませんし

校長と教員 先生と生徒 という関係性において

コーチングはむずかしいと 私は思っています

 

けれども

コーチングの手法は 有効です

 

部下を上手に育成する ということも

リーダーシップだと 私は 思います

 

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「学校組織」は ここまでとします

直接管理できる部下の人数は

どれほどでしょうか

 

また チームとして

意思疎通が図れる集団の上限は

何人くらいでしょうか

 

なんという本だったか

忘れてしまいましたが

以前 企業の組織運営に関する

外国の研究結果を読みました

 

もちろん 時代やその国の文化等で

数値は異なるでしょうが

私は とりあえずの目安と とらえています

 

私の記憶では

直接管理できる部下の上限は 7~8人

 

ですから

企業では いろいろな役職や

部署が必要になるのでしょう

 

また メンバーが意思疎通を図れるのは

150人ほどだそうです

 

多くのひとは 150人を超えると

全員を把握できなくなるようです

 

そうなると 同じ目的のために

行動しているはずなのに

派閥が できてしまい

違う方向性を持った集団が 現れるようです

 

リーダーが チームを率いるとき

メンバーが 150人を超えると

ベクトル合わせが 非常に困難になる

ということでしょう

 

 

学校組織は 鍋蓋構造です

 

校長が直接管理するのは

教頭だけ というのであれば

7~8人以内ですが

そうではなく 全職員を

直接管理しているようなものです

 

それは 不可能だ

とも考えられますが

学校は 企業ではありません

 

教員の独立性が認められているためか

そのような組織構造で 学校は

ずっと 存在してきているのです

 

ここに 大きなメリットがある

と 私は思うのです

 

つまり 校長は 全職員と

直接 つながることができるのです

 

全職員の 思いを

直接 聞くことができるのです

 

全職員に 個別に

校長の夢を語ることができるのです

 

情熱は

あいだに 人を経由すればするほど

薄まって伝わっていきます

 

熱い思いが 冷めた思いに

なっていくのです

 

ですから 企業は

末端まで 企業文化が浸透するよう

さまざまな 方法を考え出すのです

 

それが 学校組織の鍋蓋構造だと

浸透させる方法を 考えださなくても

よいのです

 

ベクトル合わせのために

校長は 直接話ができる

 

これは

学校組織のメリットでは ないでしょうか

 

さらに 校長は 各職員を

直接 育成することが できるのです

人事異動によって

県教委から学校にもどったとき

学校は組織の体をなしていない

と私は 思いました

 

学校の教員組織は

鍋蓋(なべぶた)に たとえらえます

 

校長がトップで

その下に教頭がいて

その下にフラットな教員集団がいる

 

主幹教諭や各部の主任がいたりしますが

彼らは ミドルリーダーとしての

なんらかの権力があるようには

うけとられていません

 

だいたい

トップの校長が方針を示しても

それに文句を言う職員が

いたりするのですから

会社等とは おおきく異なります

 

どうして こういうことに

なっているのかと 考えますに

私の 仮説ですが

教員には独立性が認められているから

だと 思います

 

授業やクラス運営等

マニュアルがあるわけでは ありませんから

自分で なんとかするしか ないのです

 

新規採用者であっても

いきなり授業をするのです

 

なにを どうすればよいのか

まったく わからないにも かかわらずです

 

そうなると

自分が受けてきた教育を

参考にするしか ありません

 

いきなり 新しいやり方で

授業ができるはずもないのです

 

部活動指導も そうです

やったことのない 種目であっても

顧問になったら 指導しなくてはなりません

 

なにもかも 自分でなんとかするという

経験を積んでいくと

ひとは いやでも自律します

 

自分のやり方を みつけ

それに こだわり

自分が正しいと思って

行動するようになります

 

それぞれの教員が

それぞれの価値観で

行動するようになりますから

学校を改革しようとすると

ベクトル合わせが 大変になります

 

今までの やり方を

決して変えないという

職員がいたりします

 

それで やってこれたし

これからも やっていけるし

生徒がどうなろうが

学校がどうなろうが

その程度で クビになるわけでもない

 

ということになると

懲戒処分に ならないことであるならば

良くない行動であっても

続けたりするのです

 

中には

このことについては 私が責任を取ります

という 職員がいます

 

校長としては

何を言っているのだろう

と 思うのですが

職員には 理解できません

 

自分が辞めたら

責任を とったことになる

と思っているのでしょう

 

一職員が辞職したくらいで

責任をとれる事例が あるわけないのです

 

世の中のことが

わかっていないのです

 

結局

世の中のことが わかっていなくても

やっていける世界が 学校なのです

 

ですから

学校の非常識があったり

非常識な職員が いたりするのです

 

そうならば

校長がリーダーとして

夢を熱く語ったところで

どうにも ならないではないか

と 思われるかもしれませんが

私は 他に類をみない

鍋蓋状態の教員組織だからこその

メリットがある と思うのです