生命の教育研究所 -2ページ目
各学校の教育目標を立てるとき
今は 多くの学校で
自己肯定感を高める とか
失敗を成長の糧とする
とかが 必要だろうと 思います
たとえば 宿題は
自己肯定感を高めることに
効果があるのか ないのか
ここで 宿題が
必要か必要でないかを 考え始めますと
「二択の思い込み」におちいって
どちらかが 正解だと錯覚します
そうでは ありません
どんなときにどのような宿題が
自己肯定感を高めることになるのか
ということを 考えるのです
その効果が認められないなら
その宿題を なくしても
かまわないと 私は思います
また 定期考査は どうでしょう
得点が低いのは
理解できていないところが
多いということだから
そこを もう一度見直そう
というので あれば
失敗を糧とすることができ
成長することができれば
自己肯定感も高まるでしょう
けれども 現実は
再チャレンジする考査が あるわけでもなく
見直しても見直さなくても
状況は とくに変わりません
その後の 授業に
ついていけないのも 同じです
というのであれば
定期考査の低得点は
やっぱり 私はダメなんだ
ということを 確認させるだけのことで
自己肯定感を 下げる効果がある
ということに なります
通信簿等の評価も そうです
その評価のしかた 通知のしかたは
生徒のために なっているのでしょうか
絶対評価に なっているのに
他人との比較に なっていないでしょうか
なにより 生徒自身が
他人との比較による
劣等感や優越感を得るのではなく
自分の成長を実感できるように
なっているのでしょうか
また
服装頭髪検査は どうでしょうか
ルールだからと ただ守らせることが
自己肯定感を 高めることに
なるのでしょうか
私は 定時制高校に勤務していました
そこには 30代 40代
ときには60代の生徒が いました
化粧やピアスや染髪は禁止
などという 校則はありません
もちろん それは
中学を卒業したばかりの
新入生にも適用されます
いわゆる 頭髪服装に関する
多くの学校における
生徒指導の わずらわしさは
ありませんでした
ふつう 頭髪服装指導をすると
反発する生徒が でてきます
それを さらに コントロールしようと
先生は 叱ります
そこで 生徒との信頼関係が
生まれるとは 思われません
服装頭髪指導を しなければ
先生は 生徒に
やさしく話しかけることが できます
染髪することが
今の時代 これからの時代を
生きる生徒にとって
どのような意味となるのか
というようなことを 問うことができるのです
そのうえで 染髪するかしないかは
生徒の判断になります
金髪で 学校に来ていたのに
アルバイトを始めたら
黒髪に染めていた
ということは 普通にあります
化粧や染髪をしないと
学校に来られない生徒も います
それは ギリギリのところで
頑張っている 生徒だったりするのです
生徒自身の人生です
生徒の成長のために
先生は どのようなサポートが
できるでしょうか
ルールだからと 理由もなく
守らせることが
生徒の自己肯定感を高め
幸せな人生をおくることに
なるのでしょうか
私は 別に
頭髪服装検査を なくせ
といっているわけでは ありません
各学校において 教育目標に照らして
その教育活動に
どのような効果があるのかを
考えなくては ならない
と 思っているのです
時代の価値観は 変化します
アンラーニング(価値観の再構築)が
必要です
今までこうしてきたから
という思考停止は 避けたいところです
どのように 生徒をサポートするか
卒業時に 生徒は どう成長しているのか
そのとき 生徒や先生は 何を感じるのか
校長は 自分の言葉で
夢を熱く語らなくては なりません
ズルいことをしたり
他人を傷つけたりして
目的を達成させるひとは
あいつは目的達成のためには
手段を選ばないヤツだ
と言われたりします
誉め言葉では ありません
どうして目的を達成したのに
誉められないのでしょうか
それは
ズルいことをしない とか
他人を傷つけない
ということが 暗黙の了解だからです
けれども
文化がことなれば
暗黙の了解などというものは
存在しません
ですから
目的達成のために
このような手段を もちいてはいけない
ということを 事前に
納得させておくべきなのです
別の言い方をしますと
目的に ズルいことをしない
他人を傷つけない
ということを あげておくべきなのです
目的を チームメンバーが各自で
勝手な解釈を しては いけないのです
勝手な解釈ができないような
目的にするのです
たとえば
進学校で 東大合格者を増やす
というような
目標を立てたと します
3年間で 合格させるための
戦略や手段を 考えなければ なりません
そうなると
時間がもったいないから
数学の問題集は 解くな
という指導が よいでしょう
じつは
東大合格者の 多くは
数学の問題集を 解いていません
数学の問題集の 問題を読んで
解く方針を 考えます
で 解かずに
解答を見て確認するのです
方針が思いつかない難問なら
すぐに 解答を見ます
そうして
解き方のパターンを
記憶していくのです
近年の入試問題に対応できるかどうかは
わかりませんが
これまでは そのやり方で 効率よく
東大入試に対応できたのです
それは 勉強ではない
というのであれば
目標に そういうことを
組み込むほうが よいでしょう
時間は 無限にあるわけでは ありません
高等学校であるなら
3年間で 生徒の成長をどう支援するか
そういうことを考慮して
目標を立てるのです
伝統のある 学校であれば
地域社会の期待が あります
地域社会の支援を得るためには
その地域の期待も
目標作成に 織り込まなくては
ならないことも あるでしょう
教育目標は
学校ごとに ことなるものです
その目標に照らし合わせて
授業をどうするか
生徒指導をどうするか
学校行事をどうするか
ということが 話し合えるようになるのです
学校教育の目的として
つまり 北極星として
リーダーである校長も
教員も生徒も保護者も社会も
納得すべきことは
その学校を卒業した生徒が
自由に生きていける
ということでしょうが
すぐには 納得されないと思われます
もうすこし わかりやすくすると
自分らしく生きていける
ということに なります
けれども
この 自分らしく ということも
どういうことなのかを
徹底して 考えなくてはなりません
本校は 自分らしく生きていけるよう
教育を しています
というのは
本校の校訓は 自主自律です
というようなものです
まぁ 北極星としては
自主自律よりは よいように思いますが
各学校の教育の目的を
リーダーである校長が
情熱をもって 語ることができれば
よいのですが 現実的には
なかなか むずかしいと思います
目的地が わからないのに
歩き始めても 道に迷うだけですが
学校は 企業ではありません
今まで 教育の目的を 明確にせずとも
ほとんどのひとが 疑問にも 思わず
今日まで きました
ですから
北極星は 漠然としたものでも
しばらくは かまわないと思います
では
リーダーである校長が
語らなくては ならない
夢とは なにか
それは
目的である北極星ではなく
そこに到達する途中にある
目標やマイルストーンです
卒業時に 生徒が どうなっているのか
ということについて
校長は 夢を語り
職員も生徒も保護者も そのことを理解し
実施する授業や行事等すべてを
その目標に照らし合わせて
改善していくのです
校長が語る夢は だれもがありありと
思い浮かべることのできるもの
でなければ なりません
つまり ビジョンです
生徒は その学校で 学べば
卒業時には 自分はどうなっているのかを
思い描くことができ
先生は その教育をすれば
生徒が成長し 先生自身も成長できる
つまり
生徒も先生も
自分らしく生きることができる ようになると
心から納得できること
そうなれば
保護者や地域社会は 今以上に
学校の教育を 支援してくれる
卒業時には 生徒も先生も
保護者も地域社会も
みんなが 笑顔になっている
生徒は この学校で学べてよかった
と思い
先生は この学校で教育に携われてよかった
と思い
保護者や地域社会は この学校が
ここにあることを 誇りに思う
毎日 学校には笑顔があふれ
生徒も先生も 月曜日が待ち遠しくなる
夏休み等 長期休業明けは
成長した先生 成長した生徒が
笑顔で あつまってくる
こんなのは
夢物語でしょうか
そうです 夢物語です
夢を 実現するために努力すること
ひとは そうして成長するのだと
思います
リーダーである校長が 夢を追いかけずして
職員や生徒に
夢を追いかけて成長していくことを
示すことが できるでしょうか
リーダーである校長は
決して冷めない 情熱をもって
夢を語らなくては ならないのです