今、世界で最も重要視されているものはなんだろうか?

「お金」?

確かにお金は万人共通の価値基準なので、重要だ。

「人」?

人も確かに重要だ。

これはお金で代替できない、流動的でコントロールの難しい財産と言える。

「家族」?

う~ん、まぁ否定はしないけど、そういう人の9割は本音で言っていない気がする。

「自分」?

何をおいてもまず自分、というのは生命体として自然だけど、社会的にアウトとされているのでこれを標榜する人は稀だと思う。

 

じゃぁ何が一番重要視されてるんだろうと考えてみて、思い当たるモノがあった。

 

 

「いいね」

 

である。

高評価、☆の数、RT数、その他もろもろひっくるめて、

 

『他者からの評価の指数』

 

これが今、世界で一番重要視されているのではないか、と思った。

自己を評価する基準が、自己ではなく他者になっている。

周りが「いいね」としてくれなければ、自分がどんなに好きでも大切でも「よくない」ことになってしまう。

 

じゃぁ、他人の基準に沿おうとしているあなたは、いったい誰なのだ?

 

という声が自分の中から自分に向けて発せられた気がした。

 

 

このご時世、何かを発信する以上は「いいねの数」から離れることはできない。

もちろんその数値に左右されずに自由に発信している人もいるけれど、「いいね」が欲しくない人というのは稀ではなかろうか。

かくいう私も「いいね」がついてくれると嬉しい。

が、「いいね」をもらうために何かを書くと大体「いいね」がもらえない

評価してもらうことを狙うと私はおもしろいものが発信できない

ブログもそう、小説もそう、他者からの評価が欲しいと思って他者の良し悪し基準に沿おうとすると逆の結果になる。

 

これはつまり、私は他人のことを考えても全然わかってないということだ。

 

そりゃそうだ、私の考える他人って、結局私が考えてるから、私の範疇を出てないのだもの。

これが上手くできる人は、他人のニーズに沿って評価を得ることもできるだろう。

有名youtuberとかはそうなんじゃないかな?

もしくは単純に、自分の好みと多数の他人の好みが近い場合は、狙わなくても評価を集められるということになる。

音楽なんかもそうだよね。

自分がいいと思ったものがたまたま多くの人にいいと思ってもらえた、っていうのは最高に嬉しいと思う。

多くの人にいいと思ってもらいたいから、自分がいいと思ってないものを作る……と大体破綻する。

 

人によるとは思うけど、なんだかんだ自分が楽しくないことは他人が見ても楽しくないのかもしれない。

 

あと単純に、発信自体が楽しければ評価の数が多かろうが少なかろうが「楽しめた」という事実が残るので、がっかりはしない。

他者からの評価以外の何かを目的にするか、発信そのものが目的になったとき、他者からの評価を得られる、というのはなんとも皮肉な話だなぁと思いました。

少なくとも私は、他人の評価欲しいマンになると、おもしろいものは書けないということがわかりました。

自然に、書きたいから書く。評価にこだわらずそれ自体を楽しむことを目的とするのが、私には重要なようです。

まぁ商売じゃないですし、書きたい事書いた方が有意義ですよね。

裏を返すと、商売には向いてないってことですけどね。

 

好きなことを仕事にするのが最高っていう価値観が昔から世にあると思うんですが、好きなこと仕事にして好きなままでいられるんだろうか?

好き放題やれるから好きなのに、仕事になったら好き放題できないんじゃなかろうか。

これもうまいこと世間のニーズに合致してたら好き放題やり続けられるのかなぁ。

でもスティーブ・ジョブスみたいな人は極極稀だよね。

その極極稀な人になるぞ! ってのを目的にするとダメなんですよねーホント不思議。

自然な欲求と衝動ほど継続するものはないし、そういうものが人を惹きつけるってことなんですかね。

 

余談ですが写真は私の手なんですが、自分で思ってたより手が老けててビビりました。