吉原・泪橋視察ツアー、終了しました! | 中下大樹のブログ

吉原・泪橋視察ツアー、終了しました!

土曜日の午後は雨の中、吉原・泪橋視察ツアーを行いました。


台風の影響もあり、数人のキャンセルが出ましたが、総勢8名の参加者で南千住→三ノ輪→吉原を訪問。


悪天候の中、参加して下さったみなさま、ありがとうございました。


15時頃から雨は上がり、晴れ間も見えましたが、肌寒く感じる中、視察ツアーを行いました。


まずは南千住駅近くの回向院と延命寺を訪問。


江戸時代、かつて、この周辺は小塚原処刑場と呼ばれる処刑場でした。


約20万人の方がこの辺りで処刑されたようです。


写真は延命寺の首切り地蔵。


無念の思いを抱えたまま処刑された多くの方を、やさしく見守っておられるお地蔵さまでした。



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小塚原刑場

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%A1%9A%E5%8E%9F%E5%88%91%E5%A0%B4





その首切り地蔵から徒歩5分ほどの場所にある「泪橋(なみだばし)」


「あしたのジョー」で有名な場所です。


かつてこの周辺には川が流れ、橋が架かっていたそうです。


現在はその面影はありませんが、処刑される方と、それを見送る関係者が「泪(なみだ)」の別れをした場所とのことで、泪橋という名前が付けられたとのこと。



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泪橋

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%AA%E6%A9%8B




泪橋を経由して、三ノ輪にある通称・投げ込み寺(浄閑寺)を訪問。


かつて、吉原の遊女が性病などで亡くなり、その遺体を、吉原の人々が、この寺に「投げ込んだ」ことから「投げ込み寺」という名称が付いてしまったとか・・・



浄閑寺の本堂の裏にある吉原総霊塔。


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お墓の下には、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」の文字が刻まれていました。


吉原の遊女の悲しい歴史・過去を感じ、参加者一同、神妙な思いを感じたようです。


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浄閑寺

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E9%96%91%E5%AF%BA




そして最後は吉原内にある吉原観音


この場所はかつて池であり、関東大震災の時、吉原の遊女たちが火事の火を避けるために池に飛び込み、そのまま亡くなったとされる場所。


記録に残っているだけで、その数は約500名。


当時の吉原は「結界」のように土塁でその四方を囲まれ、吉原内に簡単に入ることも出ることも、容易ではなかったようです。よって、関東大震災で火事が迫ってきても、吉原の外には逃げられず、当時池があった場所に飛び込んだようです。


その死者をやさしく見守って下さる観音様が吉原観音↓



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新吉原花園池(弁天池)跡

http://www.enjoytokyo.jp/kuchikomi/109644/

南千住の回向院・延命寺、三ノ輪の浄閑寺(投げ込み寺)、そして吉原観音を視察ツアー参加者と約3時間をかけて回りました。

私自身は、いずれの場所も何度も訪れているにもかかわらず、吉原観音が最も衝撃的な場所でした。


私が今、立っている場所で、500人ほどの吉原遊女が亡くなったのです。


彼女たちの必死な叫びや思いが伝わってきて、何だかやりきれない気持ちになりました。


吉原観音の脇には、小さな池がまだ残っており、そこには鯉がいました。


私にはその鯉が、吉原遊女の生まれ変わりのような気がして、切ない気分になりました。


吉原観音で視察ツアーは終わり、その後、懇親会へ。


浅草のお好み焼屋で今日の感想を参加者一同で話し合いました。


懇親会終了後、有志で浅草寺へ。ライトアップされた浅草寺は、とても綺麗で、心地よい場所でした。

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ネット上の呼びかけでしたが、視察ツアーに参加して下さった方々に改めて感謝します。


継続してこのようなイベントを行っていきたいと思っています。


参加希望者の皆様、次回を是非、お楽しみに!