「物の気持ちが分かる」という人の感覚が

最近なんとなく理解できるようになってきた

 

自分も物の気持ちが読めるようになった

というわけではなく

そのしくみが遠からず伝わってきたというか

 

動いて見えるものは

ただ単に動くエネルギーのかたまりでできていて

その性質のために動いているだけ

 

人も動物も植物も

そのように成り立っている

 

動かないように見えるものは

ただ単に動くというしくみが搭載されていないだけで

動かないという性質のかたまりとして

存在しているだけ

 

ドアもフライパンも

布団や衣類も

文房具やバッグも

声帯や運動神経は備わってないけれど

意識は内包している気がしてきた

 

 

ありがとうやごめんねなど

人や動植物相手にだけではなく

自分の持ち物にも声かけするといいとたまに聞く

 

その存在のありがたさを実感するため

自分のための声かけでもあるんだろうけど

 

「存在するすべてのものは自分の心の反映」だとか

「すべては自分」と薄っすら理解し始めると

 

五感で感じるありとあらゆる存在のすべてに

心や意識が含まれているのでは…

という気になってきた

(本来は自分と外との境界などないらしい)

 

 

動物や植物の気持ちが分かる人はたくさんいるし

そのしくみ自体も うまく説明はできないけど

自然なコミュニケーションだと思える

 

生物と無生物の区別をしないとなると

どんな存在の気持ちでも

通じて伝わってくるのかもしれない

 

 

 

以前「生物と無生物のあいだ」という本が流行ったことを思い出した

 

そういう本なのかどうか

たぶん違うかもしれないけど

試しに読んでみよう

 

 

いつも いつでも どこにでも

新世界が待っている