昔は何でもかんでも知りたくて

知らないことがあるとすぐに調べて把握して

好奇心の赴くままに知りたがった

 

時には

自分だけがそれを知らないのかもしれない

他の人はみんな分かっていて

自分は置いて行かれているのかもしれないと

それほど興味がない物事まで知りに行った

 

博識だね

何でも知ってるね

 

なんて感心されて

どこか満足しては

また知らないことが現れると

貪るように理解しようとした

 

知らないということが怖くて

恥ずかしいことだと思い込んでいた

 

 

今は 知らないということがおもしろい

 

本当に自分が知りたいことだけを求めて

知らなくてもいい今の自分に必要ないと感じることは

そのまま置いておくようにした

 

そうすると

人の話の中に自分が知らないことが出てくると

おもしろくて仕方がないようになった

新鮮な驚きや感動を味わえるようになった

 

ほんとうに心の底から何かを知っている人に

喜々として教え伝えてもらえるようになり

相手を尊敬できるようになった

 

 

以前は会話をしていても

自分も知っている内容が多く

話の先が見通せて楽しめないことが多かった

 

わざと知らないふりをしたり

初めて聞いたような顔をするのも面倒で

そんな自分の性分のひねくれ具合を嫌いになった

 

自分の劣等感を埋めるために

この人はそんなことも知らないのかと

人を見下す材料としても知識を使っていた

 

周りを気にしすぎて

純粋に自分の内側が知りたいことや

自分が本当はどうしたいかということを

ないがしろにしていた

 

要するに自分も人も誰ひとり

信頼していなかった笑

 

 

知らないということも

実はおもしろいことなんだよ

 

知らないということにも

メリットがあるんだよ

 

知らなくて七転八倒してもいいんだよ

知っていても それは起きるから

 

何かを知っていても 知らなくても

どちらでも大丈夫だよ

 

知っていても 知らなくても

私たちには価値があるんだよ

 

 

そう気づくまで

自分にとって必要なことが起きていた

 

傍から見たらちゃんちゃら滑稽なことだけど

自分から見た景色は深刻だった

 

 

近くから見ると 悲劇

遠くから見ると 喜劇

 

 

そんなことわざがあるけれど

まさしく自分そのもので

気づいたときは大爆笑だった

 

 

そんな告白をひとつ

 

 

※まだちょっと

こんなことに気づけた自分どうですか~?

こんな告白できる私ってすごくないですか~?

という承認欲求(劣等コンプレックス?)を自分に感じて苦笑い中

やれやれ(^^;)