あくまでも

個人的な基準だけど

 

 

その人のことを

ホントウに心から好きかどうか

見極める時に使う

ちょっとした基準がある。

 

 

特別それを見極めようという

意図がなくても

後々考えてみたら

 

 

その人のことを

どう思っているか

気づける、というか。

 
 
 
配偶者でも恋人でも
親でも子どもでも
友人でも知人でも
仕事関係の人でも
誰でもいいんだけど
(動物も入るかな)
 
 
 
その人の
食事の世話
心の底から
気持ちよく
できるかどうか
 
 

が、自分にとっては
ひとつの
スキキライ基準になっている。

( ̄▽ ̄)

 

 

 
料理をして提供するとき
買ってきたものを出すとき
出先での外食であれ何であれ
 
 
日ごろの食事の世話が
何の抵抗もなく
できるかどうか。
 
 
食に関する管理が
得意でも苦手でも
意識してても
無意識でも
 
 
人によって
食事の世話に対する温度差

自分にはあることに気づく。

 
 
 
おいしいものを食べてほしい
身体にいいものを摂ってほしい
好きなもので満たしてあげたい
何とか喜んでほしい
この人の食事のお世話、楽しいな♪
 
 
という気持ちで
相手の食事のことを
気にしている時は
その相手を心から好きな証拠。
 
 
適当でいいや
何でこんなことしてるんだろう
あまり気が進まないな
早く終わらせよう
食事くらい自分でなんとかして!
 
 
という気持ちで
食事の管理をしている時は
(明らかすぎるけど)
相手のことを
あまり好きではない状態(^_^;)
 
 
 
食の管理が自動操作というか
ルーティンワークになってると
気づく機会がないかもしれないけど
 
 
単純なもので
 
できれば
食事の管理なんてやりたくない!
 
という人とは
距離を置きたい関係なんだな…
と自分の気持ちに
スパッと気づける( ̄▽ ̄)
 
 
 
何の抵抗もなく
喜んでやれていれば
文句なく「好き♡」な証拠。
 
 
自分が管理する立場になくても
相手の食が気になる時は
「好きなんだな」と気づける。
※相手に自分の食を
  気にしてもらうことに
  抵抗がない場合も然り
 
 
 
ま、食事に限らず
身の回りのお世話全般に
いえることかもしれないけど。
 
 
 
 
自分自身に対する
基準にもなるかな?
 
と、今、思えた。
 
自己肯定感に比例する
というか。
 
 
自分のことを大事に思えていると
自分の食に関して丁寧になるし
 
 
自分なんてどうなってもいい…
という気持ちだと
食のことがおろそかになりがち。
 
 
 
人に対するスキキライと食を
無理に結び付けて考える必要は
どこにもないし
思い込みのひとつだろうけど
 
 
いつしか
そんな基準を採用している

自分に気づいた(^_^;)

(いつか変化するのか?)
 
 
自分エゴの
正体が垣間見える…(;´Д`)ノ
 
 
 
 
海藻が不足気味(-_-;)
 
 
 
 
ちなみに
相手を愛しているかどうか
見極める基準も
聞いたことがある。
 
 
本来なら
愛というのは
 
無償で
無条件で
見返りを何も求めないもの
 
だけど
 
 
その人を愛しているかどうか
見極めたい場合は
 
 
エッチな関係がなくても
お金のやりとりをする関係になくても
 
その人のために
生きていけるかどうか
 
 
を、考えてみるといいらしい。
 
 
性的欲求が満たされなくても
金銭(たとえば生活費)をもらったり
あげたりする関係になくても
 
 
その人が
その人らしくいられるように
支えて
生きていけるかどうか。
 
 
 
 
生きていければ
 
それは、愛。