私たちが
 
怒りの感情を
 
どう扱っていいのかわからず
 
誰かや何かにぶつけるのは、
 
そういうものだと決めつけて
 
放置しているからです。
 
 
 

それは単に
 
「習慣」になっているだけであり
 
何も方法がない
 
ということではありません。
 
 
 
存在を認めて対処し
 
気づきのエネルギーへ変容させる
 
という扱い方を知らない、
 
変容させる勇気が足りない
 
というだけのことなのです。
 
 
 
 
 
怒りの感情は
 
深く観て洞察するこによって
 
理解や思いやりのエネルギーに変容させ
 
活用することができる
 
有機的なエネルギーです。
 
 
 

この変容の仕方は
 
本来は
 
誰もが知っていることです。
 
 
怒りを感じている人は
 
苦しんでいます。
 
 
落ち着いて考えれば、
 
 
私があの人だったらどうだろうか
 
私があの環境にいたら
 
同じように振る舞うかもしれない
 
 
と誰もが心の中で想像し
 
相手の苦しみを
 
理解することができます。
 
 
 
苦しみたくないという恐れや
 
単なる習慣に流されて
 
忘れてしまっているだけなのです。
 
 
怒りを感じるとき
 
人は苦しいのだと
 
思い出してください。
 
 
誰かを苦しめれば
 
何かにぶつければ
 
解消されるはずだ
 
扱い方など知らないと
 
ただ思い込んでいるだけなのです。
 
 
 
 
私たちは
 
感情の扱い方を
 
うまく忘れてしまっているだけ
 
誰もが変容させることができます。
 
 
なぜなら
 
ほんとうは誰もがその答えを
 
知っている存在だからです。
 
 
 

繰り返しますが
 
どうしたらいいのか
 
ほんとうは
 
誰もがわかっています。
 
 
 
苦しみから解放される方法は
 
人によっていくつも存在します。
 
 
 
真の自由や解放を経験するには、
 
怒りや苦しみのエネルギーは
 
理解や思いやりのエネルギーに
 
変容させることができる
 
と信じること、
 
その能力が
 
私たちには元々備わっていることを
 
思い出せばいい
 
というだけの話なのです。
 
 
 
 
私たちは
 
苦しめ合う必要などないと
 
どこかで必ずわかっています。
 
 
 
分離している存在など
 
ひとつもない
 
相手は自分でもある
 
ということを
 
魂では理解しているのです。
 
 
 
心を開いて
 
穏やかな関係を築き
 
自分や相手を大切にする方法を
 
ほんとうは最初から
 
わかっているのです。
 
 
 
なぜなら
 
誰もが心のなかに
 
ブッダやキリストを
 
宿している存在だからです。
 
 
 
すべての人やものは
 
自分から分離した存在などではなく
 
つながっているのだと知っています。
 
 
 
自分も相手も
 
平和で幸せに過ごすことができる
 
光の存在だと
 
思い出すだけでいいのです。
 
 
 
タイミングはそれぞれかもしれませんが
 
ブッダやキリストは
 
自分自身と一体の存在であり
 
自分の内側にいるということを
 
必ず思い出すことができます。
 
 
 
深く観る習慣が
 
ないだけなのです。
 
 
洞察することを
 
気づきのエネルギーのチカラを
 
忘れているだけなのです。
 
 
誰もが
 
無条件の愛に包まれた
 
「神聖な存在そのもの」であり
 
気づきや洞察のエネルギーによって
 
感情を活用できる能力を持っていることを
 
思い出してください。
 
 
 
 
 
 
自由ネコのまどろみ♪
ただかわいい(*´ェ`*)
お腹が動いて見えてくる♪