とあるプロスポーツコーチが
ふとこぼしていたコトバを思い出した。
ずっと一緒にやってると
どうしてもダメなところに
眼が行きやすくなるんです…
ほほう。
深し。
コーチだけじゃなく
誰だって
日常生活でもそうかもしれん、と。
一緒にいる人。
一緒に働いている人。
一緒に生活している人。
家族だけじゃなく
長めに接するまわりの人。
結構長めに
ずっと一緒にいると
イイとこが当たり前になって
居心地の良さが空気(自然)になって
ちょっとしたイヤなところが
気になりだす。
悪気は全然ない。
単なるそういう
イヤなところは眼につきやすいという
物理的「性質」なだけなんだけど
忘れがちだな、と。
(特にオノレが見事に忘れる(;´Д`)ノ)
ただ、そのコーチは
そこに「気づけている」だけでも
尊いな、と。
眼につきがちになってるだけで
イイとこが減ってるわけじゃない。
イヤなとこばかりじゃない。
イイとこたくさんあるやんって
戻ることができてるし
自分でわかってるってところが
尊いな、と。
そう思った次第。
ミルクティー色の
自由ネコとの遭遇シリーズ♪
丸まって眠っていたのに
「こんなんでええか」とばかりに
何も声掛けしないうちに
目の前でゴロンゴロンしてくれた(〃∇〃)
この後フワフワのおなかを
ナデナデさせてもらったけど
静かに見守ってくれた(?)
やさしい自由ネコさま。
ありがとう♡
ずっと一緒にやってると
どうしてもダメなところに
眼が行きやすくなるんです…
人のことだけじゃないよなぁ。
自分に対することだって。
自分のイヤなとこばっか
気になってるトキがある。
自分と一番長く一緒にいるのは
まちがいなく自分自身。
ええとこも、あるっつーのに!
さらにいうなら
「できてること」を評価するんじゃなく
「その人で在ること」自体を
認めさえすればいい。
と、誰かが言ってたなぁ。
誰だったか
まんまと忘れたけど!( ̄▽ ̄)
できてるできてないの判断じゃなく
「在るがまま」の存在を認めればOK。
うまいこと思い出せた。
うまいこと耳に届いてた。
そう思って今日は寝る。