今回の日帰り de おでかけは、
お正月に身体を動かそうと、近くの観音様を巡るお散歩へ
こちらは埼玉県吉見町にある観音様
ねずみは今まで知らなかったのですが、厄除けで有名らしい
ご本尊は聖観世音菩薩
今から約1200年前に行基が、この地に観世音菩薩の像を彫って
岩窟に納めたことが始まり
本堂の欄間には日光の眠り猫で有名な大工 左甚五郎作の
野荒しの虎なる彫刻もありました
埼玉県では珍しい三重塔 24mはあるそうです
装飾は少ないながら朱塗りで3間3重塔婆・銅板葺でした
次はお待ちかねのこちら・・・厄除け団子
「村で疫病が流行り、困った村人が観音さまにお願いして
助けていただこうと、お団子を作りお供えしご祈願したそうです
その帰りに、お供えしていたお団子を下供として頂き、
分け合って食べたところ病気が治ったそうです」
この話から吉見観音は厄除けのご利益とお団子が有名に
ご興味がある方は6月18日の朝観音様へ
次はもっとマイナーな観音様へ
その前に見たのは松山城址跡
比企丘陵の先端に建てられた平山城
互助会は上まで登らずに、この脇にある観音様へ
岩室観音堂です
崖下にへばりつくような本堂は、1590年(天正18年)に焼失
江戸時代に懸造り様式で再建されたとの事
弘法大師が岩窟を選んで高さ一尺一寸(36.4cm)の観音像を
彫刻してこの岩窟に納め、その名前を岩室山としたと伝えられています
小田原征伐をおこなった豊臣秀吉軍との戦いで
焼失した本堂ですが、ご本尊は岩窟内で無事だったそうで
そんな事もあり、災難除けや交通安全・商売繁昌・安産の御利益が
お参りの後には、本堂の奥でお胎内くぐりが出来ますよ
胎内くぐりは各地でも見られる風習ですね
ここをくぐると諸難を除き、安産、その他の願いが叶うとの事
少し急ですが、鎖もあるので登っていくとハート形の穴が・・・
胎内に見立てた輪をくぐると難を払ったり
清らかな体に生まれ変わるという意味合いがあるそうです
次は隣の東松山市 岩殿観音 正法寺サンへ
大イチョウで有名な岩殿観音
昨年は大河ドラマの「鎌倉殿の13人」でもゆかりの地として有名に
ここのご本尊は千手観音菩薩
一緒に出掛けた いのししさんの母上様の守り本尊です
お正月ですからしっかりお参りいたしました
お正月だからか、梵鐘を打たせてもらえたので
いのししさんと一緒に鳴らしてみました なんかスッキリしますね
この日は正月の2日 穏やかないい日差しの中のお散歩
お正月というと神社かもしれませんか
自分の守り本尊にお参りするのもいいんですよ
さて、本当は岩室観音堂の後に寄りたかったこちら
後日、母姉と同じコースを回った時に行ってきました
吉見町と言ったら誰もが思い浮かべる吉見百穴
東京出身の母も、埼玉県出身の姉も
小学生の時に遠足に来たことがある吉見の百穴ですが
子供の頃は何のためにあるか知りませんでした
本当は古墳時代の末期(6世紀末~7世紀末)に造られた横穴墓
凝灰岩の岩山斜面の穴はちょっと異様に見えますよね
太平洋戦争の末期の昭和19〜20年に、吉見百穴とその周辺の
丘陵地帯に大規模な地下軍需工場が造られました
直径3m程の開口部を持つ洞窟が地下軍需工場の跡です
もちろん今は中に入れませんが
縦と横の洞窟がそれぞれ交差し、碁盤の目のようになっているそうです
少し登ると中が見える場所があったのでを覗いてみました
横穴の壁際には10〜20cm程の段が作られていて
これが死者を安置した部分らしいです
一つの横穴に二つの段があり複数の人が葬られたとの事
吉見百穴は明治20年に発掘調査が実施されていますが
わずかな写真と出土品を残すのみで
詳細な情報はほとんど残っていないそうです
現在確認できる横穴の数は219基
小学生の時に遠足で来ても、これ程の情報量は処理できないなぁ
大人になった初めて歴史とのマッチングで理解できます
小学生の時に出かけた遠足先を
大人になってから回る方が楽しいかもしれませんね
吉見観音 安楽寺
岩室観音堂 龍性院
岩室観音堂 吉見町役場HP
吉見百穴 吉見町役場HP
岩殿観音 正法寺