批判と誹謗中傷の境目は?


という議論に先日、参加してまいりました。

輝きへの案内人 眩しさ追求コンサルタント
石井岳海です。

とても興味深いテーマで、他の人がどのような考えをしてるのか気になっていました。一緒に議論をした方たちは、深い洞察力をお持ちで、とても学びのある時間になりました。

その議論の中で、白熱とした内容を本日の記事にします



結論『境目などありません』

境目がないだと?

そもそも境目を探しはじめた瞬間から答えがわかってるようなもの。

実は、境目などないのです。だから人は迷い、答えであろう、「境目はどこか」を探してしまいます。

◇なぜ境目がないのか?

人間の本能である感情というものがあり、その感情で人は人を下げてみたり意地の悪いことをしてしまうものです。
それが感情から来るものなのか思考から来るものなのかはその人にしか分かりません。

人は誰しもが、嫉妬や恨みのような感覚「ルサンチマン」という作用が強く働いています。
※ルサンチマンについては後日記載します!

だから、相手の立場を悪くしたり落としてみたり、そのような欲求が人間には眠っているんです。
具体的に、人を陥れるために噂を流したりするようなことを讒言(ざんげん)と言ったりもします。

人間同士の会話の中では、多くのケース、どっかの誰かの会話が発生しますね。

友人と居酒屋で語る時や、仕事仲間と食事してる時など、なんでもないような会話でも、多くの人が会話の内容では"誰か"のことが一つはあがるはずです。

つまり、人はいつだって人を評価しているわけです。それを言語化した段階で、既に批判か誹謗中傷か悪口か、なんなのかは明確に判断できませんが、始まってるわけです。





そういったアウトプットは時と場所さえ間違えないように注意が必要だと思っています。

批判も誹謗中傷も、悪口も陰口も、境目などありません。本人しかわからないです。

批判は単なる意見表明。評価とはまた違いますからね。
素直に改善点を受け入れて、意味のない悪口には素通りしましょう。

つまり、何が言いたいかと言うと、言葉を吐き出す場所や相手を間違わないこと。

自分が批判をいただいても、それは単なる相手の意見表明に過ぎません

前を向いて進みましょう。そこにこそあなたの眩しさがあります。