これなのよ。

私、虐待児だった。


普通の人はそんなに殴られないらしい。


心のエンジンぶっ壊れてる、の意味がわかった。



心のエンジンぶっ壊れてるって

殴られる自分が悪いと思ってしまうことだと思った。


人のことが見られない。



殴られるなら殴られないように努力すればいいのに、努力できない自分が悪いと突き放す。


殴られるのが嫌なら逃げればいいのにやり返せばいいのに、できなかった自分が悪いと突き放す。


極端。



だから人間関係も極端なんだ。

中間がない、考えられない。

すぐにカッとなる。



結局、何をしてもできない自分が悪いと思ってしまう。


それが心のエンジンぶっ壊れてるってことか。



心のエンジンぶっ壊れてる上に何を積み重ねても動かない、動けない。



あなたは悪くないよ。


それを腑に落とすための

母親をゴミと思え。


なのか。



あなたは悪くないよ。



それがわからないと


「できない自分が悪い」に足を引っ張られるね。




虐待。


薄々気付いてたけど、私なんかが虐待されてたって言ったら申し訳ないと思ったんだ。


私はまだ生きてる。

死んじゃったり障害が残れば虐待と名乗っていいと思ってたから。


虐待って言うと、生きてるくせに大人になったくせに偉そうに言うなって怒られると思った。


人に対しても思ってる。



この考えも心のエンジンぶっ壊れてるからだろう。



だから人の心もわかんないだ。



ただ、心のエンジンぶっ壊れたのは私のせいじゃない。


心のエンジンがぶっ壊れてたお母さんに育てられたからだ。