8月の終わり暑さがまだまだ続きそうな9月の新月が近づくにつれて、

会社の人々もそわそわしだし、街中が一年に一度の大イベントに向けて活気づいてくる。
 


 そう断食で知られる「ラマダーン」がはじまるのだ。

 

 

「ラマダーン」が一体どういうものなのか、全く知らない私は

のんきに外国人は普通に生活していればいいのだろうと思っていた。

いざ「ラマダーン」が始まると、日中すべての商店が閉まりほとんどの経済活動が休止されてしまった。

それぞれの家庭ではこの時期に食べる食事を事前から用意し、

1か月近く続く断食に備えていた。だからみんな忙しく動き回り、街中が賑わっていたわけだ。

 

 

そんなこととは知らずいつも通り出勤すると、

断食に入った社員達は日中は水も飲まないで過ごすらしく、自粛ムードたっぷり。

すべての活気がなくなったような雰囲気だった。

 

業務もいつもの半分、時間も短縮され午後14時には業務終了となり帰宅する。

やらなければいけないことは山ほどあるのだが、この時期はどこの会社も業者も停止している為、効率があがらず営業していても仕方がないということだった。

 

なのでアラブ諸国とビジネスをしている海外の会社は、

この時期に仕事の交渉事などを行うのは適切でないと言われる。

 

 

飲まず食わずで、それもまだまだ気温が高いときでは、頭も朦朧として何もはかどらないだろう。 

昼食はいつも、近くのトルコ料理店でお弁当を購入していた私やクリスチャンのテッドさんは、

どの店も営業していなかった為、帰宅するまでムスリムの人達と同様に何も食べずに過ごした。

 

 

さすがに脱水症状などの危険があるので、水分はとることにする。

一日ならなんとかなりそうだけどずっとは辛いなぁと思った。
 

 

断食では夜明けから日没まで一切の飲食が禁じられている。

私にしてみると、厳しい月だなーと思ったが、

彼らは毎年とっても楽しみにしているらしいのだ。
  

 

日頃、あまり真面目にお祈りをしていないような信仰深くない人も、

意気揚揚と「ラマダーン」をしている。
断食って彼らにとってどんなものなのだろうか。

 

私の一番身近な信者は、カミルとアンサーだ。
信仰心があまり強くなさそうなアンサーも、普段はヘビースモーカーなのだが、

喫煙などのあらゆる人間的欲望(食欲、性欲など)を控えることが断食の意味らしく禁煙していた。

 

彼はカミルと違って、破天荒で男っぽく毛むくじゃらで熊みたいな容貌で、

とても20代とは思えない外見なのだが、話すと子供っぽい無邪気な面があるのが魅力的な25歳。

そんな彼のお父さんがこの会社の社長。

つまり彼は会社を継ぐ御曹司ということになる。

リビア支店立ち上げ時からこの会社で尽力してきた人物だ。

カミルを兄のように慕いどこへ行くにも連れ立って出かけている。
 

カミルとは対照的な人物でカミルを温和で信頼の厚いゾウと例えるなら、

アンサーは若いけれどどんな人も納得させてしまうような、

カリスマ性を持った若きタイガーといった感じだろうか。
 

 

性格も趣味嗜好も全く正反対のように思える二人の友情はかなり深く、

見ていてとても微笑ましい。

一人っ子のアンサーにとってカミルは頼りになる兄であり大親友であるようだった。

カミルは従順なイスラム教信者で、とても真面目なので皆のお手本のような人だが、

アンサーがお祈りしている姿など見たことがないし、彼にとって経典やら教えに従うということはそれほど大事なことではないように思えた。

そんなアンサーでもこの「ラマダーン」を楽しんでいるようだったし、

普段、信仰心みたいなものを感じさせない彼にとって「ラマダーン」はどういうものなのか聞いてみた。

 

 

「みんなと一緒に何かをやることが気持ちいいんだ。

神に感謝を捧げている感じがするし、とても神聖な気持ちになる。健康にもとてもいいんだ」と誇らしげに語ってくれた。   

ちょっとマッチョなアンサーは毎年この断食で減量をしているそうだ。

あさこも「ラマダーンをやった方がいい」と熱心に勧めてくれた。
 

 

この時期、日没後は毎晩お祭り騒ぎ街が一段と賑やかになる。

昼間は極力休んで、夜その日のお勤めが終了すると、街へと繰り出す。 

家族と夕食をゆっくり楽しみ親戚中が集まる。

日本でいう年末からお正月にかけての時期のようなものだなと思う。
 

 

「ラマダーン」は彼らにとって大事なお勤めでもあるということ。

当然私達イスラム教徒ではない人々も、日中はほとんどの商店も閉まるので外食はおろかほとんどの活動はできなくなる。

仕事が終わって家に帰りゆったりと過ごしなさいということのようだ。
とはいっても、夕方近くなるとスーパーや八百屋さんはオープンするところがあるので、

買出しに行き、その日の食事と次の日の分を用意する。

 

 

「ラマダーン」二日目に入り、仕事は午後14時で終わるのでみんなが何も食べないで仕事しているのに、

食事をするのも気が引けて、何となく私も「ラマダーン」をみんなと一緒にやってみることにした。

 

「初心者なのだから無理せず水分はきちんと取らなければいけない」としっかり者のザラに念を押される。
日中、オフィスで食べ物やコーヒーの匂いがしたのでは、

申し訳がないのでイスラム教徒でない少数派は、2階にある給湯室に集まりドアを閉め、

家から持ってきたクッキーをかじったりコーヒーを淹れたりしていた。


普段、顔をあまり合わせない数名のメンバーとこうして話ができるのも、新たな楽しみとなった。

テッドさんを始め、フィリピンから来た数名のスタッフにインドネシアから叔父と姪で来ている二人はキリスト教徒、

インド人の給仕係のアリはヒンズー教徒だった。   
 

それまで、お互いの宗教を意識したことは無かったが、

この時期だけは自分たちは他の人達と違う、少数派なのだと意識させられた。 


「ラマダーン」中、仕事はほとんど進まない状態なので

皆どこかしらのんびりと構え、よくこの給湯室で談笑していた。

 

ヘビースモーカーもこの時期は禁煙するそうなので、

喫煙家が給湯室でタバコを吸っているとドアの隙間から煙がもれ、

その匂いに敏感になっているスモーカーから苦情が来たりしたこともあった。
 

 

私が「断食をしている」とムスリムの同僚達に言うと、

皆そうかそうかと顔をほころばせ喜んでくれる。私の中にもある種の連帯感が生まれていた。

一緒にみんなで何かを成し遂げている感覚。

より彼らが身近な存在に感じられるから不思議だ。

一緒に苦行を共にし、一緒に頑張っているということが、

リビア人であるとか日本人であるということを超えて、分かち合っているという感覚を与えてくれた。

 

 

会社ですれ違う人々の眼差しがやさしく感じられ、おだやかな気持ちになる。

言葉には出さないけれど、お互いを分かり合っているもの同士の中に流れる、

尊敬の念みたいなもので結ばれている感じだった。

言葉が通じない、話したこともないスタッフと社内ですれ違うと、

やさしい笑みを浮かべ合い互いの健闘を称える。

 

 

 

親指を立てただニヤっと笑いこちらを見るおっちゃん、ハニカミがちに笑い答えてくれる人。

私が一緒に断食をしているのを皆が知っているようだった。

私はこの時ただ一緒に苦行をしているというだけで、

彼らの文化や宗教をまるで理解したかのように錯覚した。
 


アンサーがこんなことを教えてくれた。

「ラマダーンはみんなで、同じ気持ちを味わうことができるとても神聖なものなんだ。

富めるものも貧しいものも皆同じ経験をする。

そして一日、一日、いつも与えられている恵みに感謝して、貧しく飢えている人の気持ちを理解できる大切な時なんだ」と。

 

「ラマダーンがあるから、俺達は謙虚になれるしみんな一緒なんだということがわかる」とも。

どんなに裕福な人もみんな同じ思いをするということに、何か意味があるのだろう。

不平等感みたいなものがなくなる気がするのかもしれない。

 

 

アッラーの教えの通りにしていれば自分は救われる、そう信じている彼らは自分の境遇が悪かったり、

何か不幸なことが起きるのは、すべて自分や家族の行いが悪いか祈りが足りないせいだと考えている。すべては神の思し召し。

だから、努力しても仕方ないし悪いことをしたって神がそうさせたとか、

自分の都合の良いように考える人もいるのかもしれない。

 

そんなことを考えたりした。