「ラマダーン」が始まって2週間目、
会社の同僚であるザラとナディア姉妹が私を彼女たちの家に呼んでくれた。
「ラマダーン」では家族、親戚縁者を中心にみんなで食事をするのが習わしのようだが、
親族との食事に加え、会社の上司や友人達を自分たちの家に招き、それぞれの家庭の食事をごちそうするそうだ。
ザラとナディア姉妹の家族はお父さんがパキスタン人でお母さんがエジプト人、お兄さんと妹さんがいる。
お父さんを早くに亡くしたそうで、お兄さんが父親の役目を果たしてくれているそうだ。
お兄さんとはリビアに着いた日に、ザラ達に私の買い物に付き合ってもらった時に一度お会いしたことがある。
カミル達と一緒に招待されていたので、アンサーの車でザラの家まで向かう。
今回こちらに来てから、リビアの一般家庭を訪問するのは初めてだった。
緊張した面持ちで、いつもより華やかにおめかしをしたザラと妹さんが出迎えてくれた。
車を家の前の路地に駐車し家に案内される。
入口を入ってすぐ左手に客間があり、4畳半程の広さの床には絨毯が敷かれ、
中央にはローテーブルその周りにすわり心地の良さそうなソファーとイスが置いてある。
壁側にはよく磨かれた木製の棚があり、その上には家族の写真やお花、飾り物が置いてあった。西洋風だなと思った。
アザーンの合図が訪れ、まずイフタール(イスラム教徒がラマダーン中、断食が解ける日没時に、一日の初めに口にする食事のこと)が運ばれる。
最初に口にするのは、薄いヨーグルトかお粥、白湯といった感じの飲み物をゆっくり胃に流し込む。
日中何も口にしていない身体には、このイフタールの最初の飲み物がやさしく細胞の隅々まで沁みわたった。
少しずつ食事をすすめる。急に食べては胃がびっくりしてしまうので、
ヨーグルトのような飲み物とヤシの実を干して甘くしたナツメヤシを頂く。干し柿のような甘い味がするナツメヤシ。
とても栄養価が高く、熱い砂漠地帯では、なくてはならない昔からある食べ物だそうだ。
ドングリを少し大きくしたくらいの大きさで食べやすく、ついつい手が伸びる。
しばらくすると、ザラとナディアがメインディッシュを次々と運んできてくれる。食べきれないくらいだ。
ヘビースモーカーのアンサーとアサランが早速、タバコに火をつける。すぐに灰皿が用意され至れり尽くせりだ。せっかく日中禁煙しているのだからずっと禁煙していればいいのにと思うが、何も言わないでおく。
ただでさえ、だらしない彼らに口うるさくなっている私だ。
ザラ達が用意してくれた料理は、パキスタンの伝統的料理。
カミルをはじめ皆パキスタン人なのでお馴染みの郷土料理だ。
チキンやビーフを使った煮込み料理。
どれもかなり辛くて、一緒に出されたパンを頬張っていると、すぐにお腹がいっぱいになってしまった。
大量に残された料理をみて、
「口に合わなかったのか」とナディアが心配する。
「とっても美味しかったわ、でもお腹が一杯になってしまったの。
ごめんなさい。本当に美味しかった、ありがとう!」と慌てて弁解する。
せっかく招いてくれた彼女達に申し訳ない気がしたので、
もっと食べろとカミル達を施すが、彼らの胃も充分満たされているようだった。
食事が終ると、ザラが家の中を案内して妹さんとお母さんを紹介してくれた。
客間を出てまっすぐ廊下を突っ切ると、薄い布を天井から垂らし部屋が仕切られていた。
広いダイニングには絨毯が敷いてあり、テーブルはなくクッションが無造作に転がっていた。
家具らしい家具はあまりなく、奥側に食事がとれる4人掛けくらいの大きさのダイニングテーブルが置いてあった。
新品の大きなテレビが居間の中心に置いてあり、いつも家族みんなで観ているのだとザラが教えてくれた。
テレビが一番の娯楽なのだとよくわかる。
テレビだけが新しく妙にギラギラとしていて、部屋の中で浮いている気がした。
壁にはお父さんの写真が飾ってあった。
ダイニングの奥にはキッチンがあり、食事の準備と後片付けでごった返していた。
ダイニングの右隣にもう一部屋あり、そこも布でただ仕切られているだけだったが、
小さめの2段ベッドが二つほど並んでいた。女性4人で寝ている部屋だそうだ。
お母さんが
「一緒にパキスタン風ティーを飲むか」と誘ってくれた。
ザラとナディアがいそいそとキッチンに向かい、私も彼女達の後についていき、
お茶を淹れるのを眺めていると妹さんが恥ずかしそうに、でも好奇心いっぱいの眼差しで私に笑いかけてくれる。
彼女達は普段、仕事が終わるとまっすぐ家に帰りお母さんを手伝い夕飯をつくり、後片付けをする。
家のことはザラとナディアでほとんどやっているそうだ。
娘がいるとどの国でもお母さんは大助かりだなと思う。
彼女達の生活を見てとても質素なことに驚いたのと同時に、
私がリビアに来て最初に住んだ家の方が、家具がほとんど無かったにしろ、豪華な造りだったことがわかった。
壁はちゃんと塗装されていたし、高級そうな絨毯が一面に轢かれていた。
「汚いし、こんなところにはずっと住めない」と不満を漏らしていた私を、
彼女達はどんな気持ちで見ていたのだろう。
自分のわがままさがともて恥ずかしくて申し訳ない気持ちになった。
質素だけど家族みんなで力を合わせて生きている。
大黒柱のお兄さんは、妹たちとお母さんをしっかり守っているという感じ。
そろそろお嫁さんをもらってもいい年齢なのだそうだが、
「妹達が嫁にいくまでは自分は結婚しないと決めていて、そんな兄を慕いつつも申し訳ないという気持ちがある」
とナディアが教えてくれた。
香ばしい匂いが漂い、パキスタン風チャイティーが出来上がった。
ザラがカミル達の為に、お客さん用のティーセットを用意して、客間に運ぶ。
私達女性はダイニングにあるテーブルに腰掛け、熱々のお茶をごちそうになる。
パキスタンティーは初めて飲んだ。インドのチャイと同じようにミルクで煮出して作るそうだが、
隠し味のスパイスと砂糖を加え、甘くて美味しい。
どこか懐かしい気がするなーなどと思いながら、言葉の通じないお母さんと妹さんと話をする。
私がどこから来たのかリビアの生活はどうだなど、ザラとナディアが通訳してくれる。
ザラ達は「ラマダーン」をどのように過ごしているのか聞いてみると、
「特番などテレビ番組も豊富なので、テレビをみて過ごすか、
一年でも一番賑やかな時なのでショッピングに街に出かけ、買い物をするのだ」とか。
「特に子供達は何でも好きなものを買ってもらえ、
遅くまで起きていることが許されているのでとても楽しいときなのだ」とも言っていた。
日本で言うお正月のようなものみたいだ。
最近の若者は、メールやSNSでカードを贈ったりクリスマスをお祝いしたりするそうだが、
ほとんどの人はお祝いやパーティなどはしない。
このラマダーンは、一年の中で誕生日以外にほとんどお祝い事がない彼らにとって、
街中、国中、国境を越え世界中のムスリムが行う大イベントなのだと改めて認識した。
ザラは今年、新しい携帯電話がほしいそうでじっくりどれが良いのか、選んでいる最中なのだとか。
携帯も彼らにとっては大事なコミュニケーションツールで、NOKIAや海外シェアの多いメーカーのものがたくさん出回っている。
個人で家にパソコンはないので、会社のパソコンか携帯でのやり取りが一番身近なツールだということだ。
日本と違ってプリペイド式が主流なので使いすぎるということがないので安心だ。
ザラ達とひとしきり話した後、
カミル達がそろそろ帰るというので
「素晴らしい心のこもった食事とお茶をありがとう」とお礼を言い帰ることに。
家族全員で外まで見送ってくれ、私達が見えなくなるまでザラと妹さんがずっと手を振ってくれていた。
ザラ達の姿も見えなくなり、ぐんぐん車を走らせていくと、次第に街の明かりと喧騒が近づいてきた。
まだ夜21時を回ったくらいだったが、これからどんどん街に人があふれ出し、
23時頃には交通渋滞がひどく移動できなくなるくらいの賑わいになるという。
そしてそのまま明け方の4時頃まで飲んで食べて騒いで楽しむのだそうだ。。。
カミル達は一度家に帰りシャワーを浴び夜中頃また繰り出すから、また迎えに行こうかと誘われる。
いえいえとんでもない。私も断食もどきをやっているけど、夜通し外に出歩く元気はないのだ。
「おやすみー」と彼らを見送りひとりアパートに戻った。
1ヶ月近くこのお祭り騒ぎが続いていく。
ほとんどの人が夜通し飲み食いし遊んでいるので、朝のオフィスは人がまばらで、来ていない人もちらほらいる。
そんなことがあってもだれも咎めないし
「仕方ないさ」という寛容な態度でマイペースに過ごしているようなのだ。
そんな感じなので、職場では仕事はしてもしなくても一緒的なムードが漂い、
物事もすべて滞ってしまい、私も少しずつやる気が失せ、
ただ怠慢に断食が終るのを待っている日々が続いた。
ザラの家に招かれた後もカミル達に連れられて、リビアに住むパキスタン人のお金持ちの家や、
トリポリにある高級ホテルのレストランなどで何度かイフタールをいただいた。
ホテルのレストランはビュッフェスタイルで様々な料理が用意されていたし、
カミルの知人の家に行ったときも、豪華なお屋敷で立派な食事がたくさん用意されていた。
大家族が多いので親戚やらたくさんの人で賑わっていた。
さまざまなスタイルの「ラマダーン」があり、それぞれの家庭でお祝いする大切なとき。
私の中で、
ザラや彼女の妹さんのあどけない笑顔、お母さんが作ってくれた料理と美味しいチャイの味が
一番印象に残ったのは、彼女達の慎ましやかだけれど、
あたたかい家庭の雰囲気に癒されたからかもしれない。
そんな「ラマダーン」ももうじき終る。
みんなのテンションも上がっていくような熱気を感じる。
3週目に入るとだいぶ体も慣れてきて、パンツとウェストの間に隙間ができていた。
体も心も軽くなった気がして清々しい気持ちを味わっていた。
昼夜逆転で寝不足になるし、かえって体に悪いように思われたこの断食だが、
少しだけ、なぜ彼らが毎年行っているのかがわかるような気がした。
ラマダーンは「祈りと感謝」を捧げるとき。
日常の忙しさにかまけて、忘れてしまっている大切なことを、一年に一度立ち止まり、見直し自分の中に再生する。そんな時期なのかもしれない。
ラマダーンが完了する夜、
イスラムのマークである月を眺めながら、
神秘的でどこか遠くで聞こえるアザーンの歌が祝詞ようだなと思いながら、
色々な思いが浮かんでは消え、心地よい深い眠りに引き込まれていった。