『監禁生活のはじまり』

 

 

キッチンはアリの出没に厳重な注意を払えば

(砂糖や調味料などもすべて冷蔵庫にしまう等)問題はなかったし、

洗濯機は相変わらずなかったが、私一人の洗いものくらいたいした量ではなかったので、

手洗いでなんとか凌いだ。

トイレとシャワーも一時断水したもののちゃんと使えてるし、

エアコンのリモコンも手に入れ、TVもつけてもらった。
 

 

 

しかしインターネットは結局通じず、リビアでは公衆電話がないので、

固定電話もあまり普及(利用)していないらしく、

国際電話のコーリングカードなんてものもなかったので、

日本の両親や友人に電話をかけることはできなかった。
 

 

 

監禁生活の中、人とふれあい出会い楽しむ時間がもてなかったのが何よりも辛く、

現地で友達を作り、出かけたり食事すればいいじゃないかと思うだろうが、

リビアではそうもいかなかった。
 

 

 

仕事が終わり、強制的に帰るしかなく後は永い夜が待っているのみ。

運動するにも外を出歩けないので、たまに屋上に出てぐるぐると歩いてみるくらい。

スポーツジムがあるらしいのだが、そこまで出かける手段がないから行けない。

行動範囲は狭くかなり閉塞していた。
 

 

 

 

オーストラリアからいらないものはすべて処分するか日本に送り、

必要最低限の物だけを積み重量オーバーと戦いながらこちらに来た私のトランクに、

本など重たいものを積み込む余裕はなかった。
 

 

 

日本でも海外でも、何でもなんとか自分でやってきたつもりだった。

初めての場所に一人で行ったり、一人旅をしたときも、

寂しさを感じる瞬間はあったにせよ、

好きな時に好きな所に行き、人と会い交流し、

見たいものを見て食べたいものを食べることができたし、

新しく出会う風景や人々との時間を楽しむことができた。
 

 

 

オーストラリアにいた頃、西岸のインド洋に落ちる夕日が見たいと思えば、

海まで30分車を走らせたり、

仲の良い友人とビーチ近くの美味しいアイスクリームを食べに行こうとドライブに出かけたり、

そういう自由があったのだと妙に懐かしくその頃のことを思い出してばかりいた。

 


オーストラリアと日本での生活を比べて、不便だなぁなどと言っていたが、

そんなのは比じゃない状況下にいることを思い知らされる。
 

 

 

 

今、私の窓から見えるのは、薄茶色や黄土色の家々と砂埃。

毎日どこからか聞こえてくるアザーンのお祈りの合図。

遠い、どこか分からない場所で一人でここにいる。何の因果だろう。

 

 

ふと、屋上に上がりたくなった。

もうすぐ日が沈もうとするころ、うっすらと三日月が空に浮かんでいる。

涼しい夜の風が私を包んだ。

 


「あっ、あの建物に、この景色。どこかで見たような。」

ボーっとその幻想的な風景を眺める。デジャヴ。

 

 

ここに来ることはわかっていたということか。

意識が遠のく、白装束の男性、その存在を恐れ自由のない自分の身を嘆く女性。

 

そんな映像が浮かぶ。懐かしさや帰りたいと思う場所ではないんだ。

束縛され自由を失うことの悲劇を再体験しているような感覚に陥る。
 

 

 

寂寥とした気持ちが少しずつ毎日、砂時計の砂が落ちるように私の心に蓄積していった。

 

 

 

そんなある日、元気のない私を見兼ねたのか、カミルが

「もうすぐ新しい家に移れるからもう少し我慢してね」と言ってきた。

毎日遅くまで忙しく働いているカミル。

どこにも連れ出してあげてないと気にかけてくれていたみたいだ。

 

 

会社が忙しいときに、そんなわがままは言えないし

何の為にここまで呼んでもらっているのか。

 

 

私が彼らの役に立たなきゃいけないのにと、

自分を律していたところもあったので、その心遣いは嬉しかった。
 

 

カミルが言う新しい家とは、「レガッタ」のことだ。

リビアに来てすぐ外国人居住区となっている「レガッタ地区」に住めるよう申請をしてもらっていた。

会社がこの地区に数件アパートを借りていて、

誰かが新しく住む場合は、管轄している事務所に証明書を発行してもらわなければならない。

 

 

 

このレガッタ地区は政府が管理しているので、役人が門番をしている。

居住証明書(顔写真つき)がなければゲートをくぐることは出来ない。


「レガッタ」は主にリビアに駐在している外国人のためにつくられたいわゆる高級住宅地で、

ヨーロッパからきた家族などが多いらしい。

カナダ大使館邸もこの中にあった。

ほとんど会社で買い上げている所が多いと聞いた。
 


  一度、私もカミル達に連れられ、ここの海岸沿いにあるレストランで食事をしたことがある。

眺めがよく味も意外と美味しかった。

シーフードパスタやピザ、魚、肉のグリルなど西洋料理といった感じだ。

 

 

 

レガッタには、レストランを始め、スーパー、クリーング(洗濯屋)、薬局、ガスステーションなどがあり、敷地内は住民だけなので自由に出歩くことができる。

 

私のように女性一人で住んでいても安心。

周りは家族連れが多いし、スーパーもあるので困らない。

 

 

何よりも外を自由に人目を気にせずに歩けるのだ。
 

 

レストランの真横はビーチになっていて、夏場の週末はヨーロッパ人で賑わう。

こんな自由な場所に住めたら、私の生活もストレスも一気に改善されるだろうというもの。
 

 

 

 

だがそこがリビアだ。

この証明書を取るのに、たった一枚のカードをつくるのに、

3ヶ月かかったのだ。


カミルが

「最後はとにかくお金を出さないとだめなんだ。払ってきたから。」と報告してくれた。

 

 

 

リビアの役人は賄賂をもらうのがあたり前になっているらしい。

 

空港でもビザの発行でも、とにかく何か貢物を送るか余分に払わないと事が進まない。

とくにお金のある会社となれば尚更だ。

 


この国でも政府、役人が私服を肥やし、そのことを当たり前だと思い込んでいる。

勘違いしているのだ。そして会社でも蔓延している病。
 
 

 

3ヵ月後、やっと居住証明書が発行され手元に届いた。

感無量。引越しの準備を早々に始める。

といっても来たときと一緒、トランクに荷物を詰め込んで出るだけだ。

 


「家具や食器類などはすべて置いてっていいよ、

新しいものをまた揃えればいいから」とカミルに言われる。
次にこの部屋を誰かが利用するとき、他の人が必要だからということだった。

 


「あさちゃん、会社の住宅全部、コーディネートして揃えてくれてもいいよ~」なんて、軽々しく言われる。

 

 

大変なんだからーこの国で物揃えるの!
 

 

証明書が届いた週末、やっとの思いで新しい住居に移れることになった。

何事もなく無事に過ごせることを願って。

この家ともお別れ。そういえばこんなこともあった。

 

 


ある日、夜の9時を過ぎた頃だったか、バタンという玄関が閉まる音がして、

風のせいかなと思っていたが、妙な胸騒ぎがしたので、そっとベットから抜け出して、恐る恐るキッチンに足を運ぶ。
誰もいないのを確認して、引き上げようかと思った瞬間、奥の部屋で物音がした。 
はっと体が硬直する。キッチン置いてあったフライパンを持って、音がした部屋に近づく。
ドアの前で耳をそばだて、中の様子を伺うけれど、特に何も感じない。

 

 

お化け?猫かな?!
息を吐いて、呼吸を整える。

 

 

フライパンを胸の前に持ってきて、思い切ってドアを蹴り開けた。


すると、男の人がベッドに横たわっているのが、うっすら廊下からもれる明かりでぼんやり映し出されたのだ。


「誰?ここで何をしているの!」

とフライパンを前に突き出して叫ぶ。

 


びっくりした男性は飛び起き、しどろもどろ。
インドネシア人っぽい風貌で、英語は話せるようだった。

 


「プロジェクトから戻ってきて、泊まるところがなく、

ミスタービモにこの部屋が空いているから泊まっていいと言われたんだ」

と言っている。
不審者なのだが、状況がわかったので、

 

 

 

「私はこの奥の部屋に住んでいて、何も聞いていなかったら、ビックリした」と伝え、

 

その人はかなり疲れているようだったので、わかったとそのまま引き上げた。

 

 

カミルに電話して事の顛末を伝えると、「信じられない、あのバカ!」

と激怒してすぐにビモ弟に電話して退出させると言っている。

 

 

 

「私は大丈夫だから、今日のところは、すごい疲れている様子だったし。」

 


それでも激怒して治まらないカミルは、
「あさちゃん、大丈夫、鍵をかけて今日は寝てね。すぐ追い出すから。」


電話を切り、その夜はそのまま鍵をかけて寝た。
 

 

翌朝、カミルに叱られたビモ弟は、

自分の軽率さに気づいたのか、丁寧に謝ってきた。


やれやれ、ちょっとあの男性が可愛そうだったな。

あの後、夜中に追い出され、ホテルに移動したらしい。

 

そんな出来事さえも懐かしく感じる。

 

屋上に上がり、この景色ともお別れだと神妙な気持ちになりながら、

いつも定刻に鳴り響くチャイムのような夕方のアザーンの音色に身を委ね、

夏の夜の空気を大きく吸い込んだ。