ラマダンが明けるころ、会社から休暇をもらいヨーロッパに行くことになった。

社長はまたインドネシアにいて、カミルはヨーロッパに休暇を兼ね出張に行くことになり、ラマダン中ほとんどの業務が中断していた為、会社にいても何もできないことがわかっていたので、私もリビアを脱出して一息入れることにしたのだ。
 

 

友人のあきこさんからは、3ヶ月かに一度くらいは息抜き出来れば一番いいと言われていたが、実際よく今までもっていたというくらい、精神的には限界に達していた。

 

 

イギリスとフランスに友人がいたので、6日間ほどロンドンと小さな田舎町に滞在し、残りの4日間をパリで過ごすことにした。

 

 

チケットを取るため、旅行代理店らしき場所を紹介してもらい電話する。

だいたいの価格を聞いて、航空会社別に比較検討してみる。

リビアからイギリスに行くには、ブリティッシュ・エアウェーズとリビアン・エアライン、イタリアのアリタリア(倒産する前だった)があった。イギリスの航空会社が一番安全だと思うが、価格はやはり一番高い。
  

 

会社に旅券専門の事務のおじさんが新しく雇われていたので、会社で手続きをしてもらうことにする。

直前まで出発日を決めかねていたので、3日前後の空き状況と値段を聞く。

支払いは現金で用意する。持って行くお金は、LYD(リビア・ディナール)を海外で両替えできるのか怪しかったので、すべてドルで持っていくことにした。

 

 

出発も間近に迫った頃、

カミルの休暇に合わせて休む為、業務上は何も問題なく責任者であるカミルに許可がとれているので大丈夫だと、のほほんとしていたら、会社の人事部から連絡があり所定の手続きを踏まないといけないと言われる。
 

 

人事に手続きの内容を聞いていると、なんと出国する際に出入国証明なる許可書を役所で申請しなければならないという。

その証明書がパスポートに貼っていないと出入国できない可能性があるというのだ。

 

 

もちろんまたお金がかかる。あと出発まで3日という時点だったので、早急にお願いして、出発直前になんとか間に合わせるべく掛け合った。

リビアに来た時といい、どうも最近の私の旅はぎりぎりの綱渡りが多すぎる。

 

 

出発する日程を決めたのがぎりぎりになってしまったので、外国人が多く利用するブリティッシュ・エアウェーズに空きはなくなってしまっていた。

 

 

この際なら恐ろしいけど恐いもの見たさのような好奇心が沸いて、リビア航空を利用してみようかと考える。

あきこさんや乗ったことのある人が周りに誰もいなかったので、心配は拭えないが価格も安いし、ロンドンまでたったの4、5時間だ。

落ちたという話は聞いたことがないそうだし、一生に一度だ!ここは乗ってみるしかないと決断した。
 

 

なんとか無事に出国当日を迎えた。

出入国証明書もなんとか間に合い、出発同日搭乗時刻の1時間30前にチェックインカウンターに並ぶ。

思ったより人でごった返していた。私の前には、30KG以上ありそうなパンパンのケースを5,6個カートに積んだ女性が並んでいる。
「そんな荷物載せられるわけないじゃーん」と

心の中でつっこみを入れつつ待っていると

難なくチェックインが済んでしまう。おいおい重量制限はないのか?!


早くもこの飛行機に乗ることに不安になる。


出国手続きは問題なく済み、パスポートチェックを終え簡素な待合ロビーに上がる。

いちを免税店やお土産屋があり中を覗く。到着ロビーよりははるかに空港らしい雰囲気だ。

待合室のカフェでコーヒーを買い、しばらく辺りの様子をみる。電光掲示板に便名が点灯している。
 

男性客が多いが、家族連れもかなりいる。ようやく時間になり、掲示板に映し出されたゲート番号を確かめ、搭乗口まで移動するが誰もいない。空港とは思えないほど静かだ。飛行機の姿も見えない。
 

やがて係りの男性が2人ゲートの前に現れた。乗客もちらほら集まり始めた。

3度目のパスポートチェック。ゲートが開くと階段を下り今度はバスに乗り込む。

その際にも4度目のパスポートチェック。何回見れば気が済むんだ。

 

バスに揺られること10分。空港から出てしまうのではないかと思ったが、ようやく飛行機に到着。

リビアン・エアラインの文字が見える。確かに機体は古い。バスを降りタラップを上っていよいよ飛行機に乗り込む。

そして今日5度目!のパスポートチェック。
 

 

入り口に立つ男性は態度が悪く

「どこに何しに行くのか」など偉そうに聞いてくる。

悪いけど出国手続きは済んでいるし、あんたに言われる筋合いはないのだと、強気な態度で私がパスポートを見せると態度が一変。

男は顔を緩ませ気持ち悪いほど愛想よく


「日本人か!いやー珍しいね。日本は素晴らしい国だ。」などまくしたて私を機内に通した。

 


私はこちらに来てからよくフィリピン人に間違えられた。

日本人なんてほとんど見かけないし、日に焼けていたからだと思うが、リビア人は気位が高く、リビアに多く出稼ぎに来ているフィリピン人やアフリカ人などを差別しているのだった。

 

そのプライドはどこから来るのだろと訝しく思うのだが、私が日本人だと分かると態度が一変するのを何度も見てきた。

そしてそういう偉そうな態度をあからさまにとるのは、大抵が役人だった。なんとも嫌な気分になる。

 

 

機内を見渡す。2人がけのイスが2列。かなり年期の入った赤いシート。

座席はゆったりと作られている。普通の飛行機と同じように感じる。ぱらぱらと埋まった座席を、スチュワーデスのおばちゃんが確認する。

いよいよ離陸だ。
 

飛行機がもの凄い轟音と共に飛び立ち、リビア上空に舞い上がる。眼下には荒涼とした砂漠地帯が目に入る。街になっているのは沿岸部の一部分だけだ。

うちの会社でも、巨大な水タンクを建設して農業地帯を作るというプロジェクトが立ち上がっているが、空の上から見るととんでもなく大変なことだなと改めて感じる。

 


まもなくして目の前に海が広がり、ヨーロッパ大陸上空を飛んでいく頃、機内サービスが運ばれてきた。

ラマダン中だったため機内食は出ないものと思っていたが、私のような外国人も数人いる為、食事が提供されているようだった。ラマダン中の人の迷惑にならないようにひっそりとトマト風の煮込み料理にパンなどを食した。
 
 

異変を感じたのは食事をして少し仮眠を取ろうとしていた頃。さっきから寒くなってきたなと思い、飛行機の高度が上がっているから仕方がないのだと思っていたが、その寒さが尋常ではないのだ。
 

足元は寒すぎて凍ってしまいそうだった。しかも機内にブランケットなどは用意されておらず夏の格好のままの私は震えていた。

耐え切れず足をシートに乗せ2席利用して、シートの上で小さく丸まった。スチュワーデスに寒いと訴えると仕方がないというようなジェスチャーを返される。貸し出しようではないがブランケットを一枚持ってきてくれた。

 

こういう所に欠陥が出るのか。機体の防寒がきちんと出来ていないのだ。見た目にはいくらでも同じような物が作れるだろうが、細かい技術や配慮までは真似できないということだろうか。
 

 

今まで飛行機で感じたことのない寒さに震えながら、早くイギリス大陸に着いてくれと祈るばかり。

雲の合間から美しい田園風景が現れる。フランスだろうか。まるで新しいものを初めて見るかのように、ドキドキして胸が踊った。

砂漠に見飽きていた私の目と五感が、潤っていくのを感じる。緑、豊かな土壌。
 


飛行時間が5時間を過ぎ、ようやくイギリスのヒースロー空港に着陸。安堵に胸を撫で下ろす。飛行機から降りて、胸いっぱいに空気を吸う。それだけで蘇るような気分になる。
 

 

入国手続きに並ぶ。イギリスだーーー。

久しぶりのイギリス。カウンターの男達の顔が険しい。私の番になりパスポートを見せる。東洋人の女性がなぜリビアにいるのかと訝しがられるが、滞在先と目的を聞かれ、面倒なので日本の企業で働いていて、バカンスでやって来たのだと説明する。リビアにいるなんて物好きだというような目で笑われる。

 

 なぜかこの時とても腑に落ちない嫌な気持ちがした。リビア人と同じ目で彼らを見ている自分がいた。

西洋人が無意味に警戒し、こいつらは得たいのしれない危ない人種だと、そう見られている感覚が私の中にもあって、先進国と呼ばれる国の人が作っているルールやつまらない偏見に違和感を覚えたのだ。


「リビアには、あなた達と同じ人間で、すばらしい人達がいっぱいいます!」と叫びたくなったが、何も言えず、ザラザラとした感覚が胸にこぶりついたまま入国手続きを済ませ、空港ロビーで迎えに来てくれているはずの友人のもとへと急いだ。
 

 

リビアにいるときは、リビア人の俺たちが一番的な傲慢さを感じるし、ヨーロッパに来ればまた、俺たちより劣っているものよと人を蔑む意識に出会う。

 

人間は、自分達より劣っていると誰かを見下さないといられないのか。

誰かより上だと考えないと、己の価値を見出せないのだろうか。

 


 出国前、ザラ達に休暇にイギリスに行ってくると伝えると「よくビザが取れたね」と驚かれた。親戚でもいるのかと。

そう彼女達は身元を保証をしてくれる親戚がいなければ、他の国に入国することは出来ないのだ。

 

日本人の私はイギリス、フランス、米など3ヶ月以内であればビザはなくても入国できるのだとは、なんとなく言い出せなかった。

 

 

日本が経済的に発展し世界でも有数の大国になり、こうして私も日本人として守られているのだなと改めて分かった。
 

ほんの短い空港でのやりとりが、日本という国に守られている自分と、非先進国民として差別的な目でみられる人々の両方の感覚を突きつけられ、とても複雑な気持ちになった。
 

 

久しぶりに訪れるイギリスは、活気に満ちとても刺激的だった。

とにかく文化というものに長い間触れていなかった私は、ロンドンのトラファルガー広場やピカデリーサーカスの煌びやかさ、ライトアップされた西洋の建物の美しさ、おしゃれな行き通う人々を見て発狂していた。

 

んなにも美しく素晴らしい世界があったのかと。それは、ロンドンだからというのではなく、おそらくヨーロッパだからということもあるが、東京でもNYでも同じように感動したのではないかと思う。

 

 

私の心が飢えて求めていたのは、文化、文明、芸術の息吹だったのだ。後にも先にも、あれほど感動した風景はなかったように思う。

体の中で細胞が生き返る思いがしたのだ。あきこさんが、「数ヶ月かおきに脱出できると、精神的にベスト」と言っていた意味が分かった。

 

 

通りを歩いていても肌を出していても一人で歩いていても、誰も私を見ないし不思議がられることもない。

リビア国外に出て初めて、生活の中で抑圧されていたものや不快感、ストレスがかなりあったのだと思い知らされた。

 

 

文明という息吹に飢えていた私の心と身体は、貪るように文明の空気を吸い込み、思う存分たっぷりと開放感と自由を満喫したのだった。