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今日は満月。
月が印象的に登場する物語は
古今東西たくさんありますね。
私は物語が大好きで、
小説、漫画、ドラマ、映画、アニメ
なんでも興味が湧いたら読み、観ます。
最近は自分でも驚くくらい
いろんなアニメを見まくっています。
物語の主人公には共通点があります。
「悩みを持っている」という点です。
それは
出自のことだったり
肉体のことだったり
心のことだったり
人間関係だったり
家族のことだったり
生活環境だったり
自分の力のことだったり
住んでいる世界のことだったり
いろいろです。
主人公は(主人公以外も)
みんな悩んでいる。
もがいている。
その悩みやもがきを
読者や視聴者はじっと見つめます。
主人公が悩みとどう向き合っていくのかを
ときに固唾を飲みながら見つめ
主人公の変化に心を動かされます。
そんな自分を顧みて
なぜ私は物語に惹かれるのだろう、と
考えたことがあります。
今の私の答えは次のようなものです。
それは「悩み」というものが
人を成長させられるものだと理解したいから
また、悩みを持つということを肯定したいから
…かなと思っています。
大学生の時に読んで深く感銘を受けた本に
「若き詩人への手紙」(リルケ著)があります。
悩んで焦りまくっている
詩人志望の青年との書簡で、
リルケはこう言います。
『今あなたは問いを生きてください』
そしてこんな風に続きます。
『今あなたは問いを生きてください。
そうすればおそらくあなたは次第に
それと気づくことなく、ある遥かな日に、
答えの中へ生きて行かれることになりましょう。』
(新潮文庫 リルケ著「若き詩人への手紙・若き女性への手紙」より)
この一節を読んで、
「あぁ、悩みは問いになるのか」
と思ったのです。
悩みを排除しようと思っている間は
悩みはただただ苦しい。
でもその悩みを大切に生き
悩みを抱えること自体を受け入れれば
その悩みは問いとなり
自分を答えに向かわせてくれる力になるのだと。
そしてその問いの内容は
自分の人生のテーマや課題でもあるのではないか
とも思います。
今悩みがあるのなら
それを問いに変換してみるといい。
そしてその時の主語は
「なぜ私は」にするといいと
私は思います。
読者、視聴者の目は
少し「神の視点」に
近いものがあるように感じます。
ならば
自分自身と自分の人生も少し俯瞰して見てみると
悩みを抱えた自分が愛おしく思えてくるように感じます。
そのときには
悩みは自分を悩ませる苦しいだけのものではなくなり、
問いという自分を答えに導く存在になってくれるのだと思います。