ほめ言葉を受け取るということ | 無言歌 songs without words

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自分解放。素の自分で生きていく。

このブログにお越しくださってありがとうございます。

 

夏の後ろ姿を見送る季節になりました。
夏が大好きなので
この時期は一年で一番
切なくなってしまう季節です。

 

切ないといえば

 

先日職場の人の仕事ぶりをほめたら
見事に全部打ち返されてしまいました。

 

「ほめる」というと
もしかしたら上からの目線を
感じる可能性もあるかもしれませんが
私は「見習いたい」というような
賞賛にも似た気持ちでした。

 

仕事の進捗管理や段取りが
とってもわかりやすく整理されていて
一緒に仕事する立場として
ありがたいな、と思ったので
それをそのままお伝えしました。

 

するとこう返ってきました。

 

「いやぁ、でも自分は管理しているだけで
 実行力はないんですよ」

 

「結局いつもぎりぎりで
 やっつけたりしてるんで」

 

「同じチームの〇〇さんが

 きっちりしてるので
 それが大きいですね」

 

 云々。

 

私も、なんとか気持ちを
受け取ってもらえないかな?
と、二、三、言葉を変えて
お伝えしてみたのですが(笑)
みごとにすべて打ち返されました。

 

ほめ言葉を受け取らない姿。

 

自分を見ているようでした。

正確に言えば

ちょっと前の私。

 

今は、前よりはもうちょっと
受け取れるようになっているとは思うけれど、
以前はほめられると
「いえいえ」
と否定していたのを思い出しました。

 

今はっきりわかるようになったのは
ほめ言葉は愛だということ。

その人のよさを認めて

なお且つ伝えようとしてくれる愛。

 

自分が人をほめると

それがよく感じられます。

 

だから
ほめ言葉をもらっている時というのは
ほめてくれた人の愛を浴びている瞬間。

 

どれだけ人から愛をほしがっていても
実際にそれが愛だと気づかないと
受け取ることができない。

 

愛だと気づかずに
素通りさせてきた愛が
いままでどれだけあったのだろうと
これまでの自分に想いを馳せました。


「私は愛がほしいんだ」と自覚できて
愛を受け取ることを許すことができて
はじめて
愛を受け取れるようになるのかもしれない。

そんなことも思いました。


自分から愛を振りまいてみると
あちこちに愛が溢れていることに気がつきます。

たくさんの人が

愛を振りまいてくれていることに気づきます。

私がまだ気づけない愛も

きっとたくさんあるのだろうと思います。

 

私の愛を受け取らなかった職場の人が
ダメだという話ではありません(笑)
それはその方の在り方。

 

私にとってその時のその方は
かつての私の姿を見せてくれただけ。

 

そして
もっと人の心に
すっと自然に沁みていけるような
愛の表現方法を身に着けられるといいね、と
教えてくれたように思いました。

 

その時は打ち返してしまっても
あとでじんわりと

「いい感じ」を味わってくれていたらいいな、
と思います。

 

同じ波動だから出会っているのだから

私も受け取れていないものがありそう。

なんだろう。

わくわくしてきた。