私たちは内側でどれだけ進歩したかということです。


各個人で自問する必要があります。正直に話せば、


私たちはどこにも進んでいないと言えるでしょう。


それ以外、答えようがありません。


内側の世界を完全なものにしようとする私たちの探求は、


何も実を結んではいません。


自分自身を変えよう、より正しい人間になろう、


自分の人生からあらゆる不幸や悲しみを根絶させようという、


いくつもの時代にわたる私たちの勇ましい奮闘については、


まったく結果が得られていません。


自分を完全なものに転換しようと奮闘してきましたが、


これは外側の世界を完全なものにしようと私たちが追求してきたのと


同じぐらい長く古いものです。


人間が成し遂げたすべてのことは、


マインドを効率的に使ったことによるのです。そして人間は、


同じように内側の世界でも完全性をもたらそうと、


その同じマインドを使ってきたのです。


自分自身の生き方においても完全なる転換をもたらそうと、


決断力、自己主張、思考力、分析力などを使ってきました。


とても残念なことに、恐らくこれが間違いだったのです。


内側の転換は自己主張や決断力を使って達成し獲得できるものでは


ないのです。悦び、平安、愛、謙虚さ、委ね、神は、


主張や決断力を使って得られるものではありません。


つまりそれらは決してマインド領域で勝ち取るものではなく、


発見されるものなのです。


あなたにハプニングとして生じるものなのです。


それが生じるためにはより高い何かの介入が必要です。


つまり恩寵です。


宗教の歴史を少しでも紐解けば、そのことが明らかになるでしょう。


偉大な神秘家が生まれ、偉大な予言者が生まれ、


あるいは罪深き人が心を転換させ偉大な聖者へと高まりました。


彼らは断じて、それを成し遂げたわけでも、


それを勝ち得たわけでもありません。


ある個人に聖なるものが介入し、神秘体験が始まったとき、


すべてがハプニングとして生じたのです。


彼らの内側で神秘的なものが生み出されたのです。


これが彼らの人生を完全に転換し、


聖なるものとの永遠の絆をもたらしました。


この超越体験こそがあなたの心を転換し、あなた自身を聖なるもの、


神聖なるものへと変えていくのです。しかしながらマインドは、


あなたにいかなる神聖体験ももたらすことはできません。


それはハプニングとして始まらなければなりません。


そうやって始まるものなのです。自分のお手上げ状態に気づいたとき、


あなたは完全に謙虚になり受け身になります。そして、


人間が終わるところに神が始まるのです。


PEACE ON ME