今年の2月、
南インドのラマナ・アシュラムに滞在しました。
ラマナ・マハルシゆかりの聖地です 。
聖なる山、アルナーチャラの麓で、
数日間を過ごしました。
「何か特別な体験があったのですか?」
と聞かれると、少し答えに迷います。
光が見えたわけでもありません。
劇的な変化が起きたわけでもありません。
言葉にするような出来事が、たくさんあったわけでもありません。
ただ、そこにいる時間がありました。
朝の空気
静寂
祈る人の姿
アシュラムの床の感触
間近に見るアルナーチャラ
それらを前にして、
自分が何かを得ようとしていることに、
ふと気づきました。
もっと深くわかりたい。
何かをつかみたい。
ここまで来た意味を見つけたい。
そんな思いが、
自分の中で静かに動いていました。
でも、ラマナ・マハルシの真我探究は、
何かを外から足していく道ではないと思います。
むしろ、
握りしめているものに気づいていく。
私は何者なのか。
この不安を感じているのは誰なのか。
認められたいと思っているのは誰なのか。
特別な体験を欲しがっているのは誰なのか。
アシュラムにいたからといって、
すぐに答えが出たわけではありません。
けれど、答えが出ない時間にも、
意味があったように感じています。
何も起きない。
でも、何かを追いかけていた自分には気づく。
それは、とても静かな時間でした。
帰国してからも、
日常は普通に続いています。
買い物もします。
メールも見ます。
お酒も飲んでます。
小さなことで揺れる日もあります。
それでも、あの場所で感じたことは、
今もどこかに残っています。
私は、何をそんなに守ろうとしているのだろう。
その問いが、
今の自分の歩幅を少し変えてくれています。
