予定はそれほどないのに、
なぜか気持ちが休まらない。
そんな日があります。
朝から何かに追われているわけではない。
それでも頭の中だけは、
ずっと動いている。
これからのこと。
お金のこと。
体のこと。
家族のこと。
昔の後悔まで、急に出てくる。
とくに、
仕事や家庭での役割が少し変わってきた時期には、
この「頭の中の忙しさ」が
前より目立ってくることがあります。
私自身も、
立ち止まる時間が増えてから、
思っていた以上に考えごとは勝手に続いているのだな、と感じることがありました。
今日はこの「思考」について、
あまり難しくならない形で書いてみます。
思考は、本来とても役に立つものです。
買い物の段取りを考える。
予定を組む。
比べる。
判断する。
問題を整理する。
こうしたことは、
思考があるからできます。
だから、
考えること自体が悪いわけではありません。
ただ、
ここがややこしいところなのですが、
思考は便利な一方で、
人をかなり疲れさせることがあります。
たとえば、
あのとき別の言い方をしていれば。
この先、何か起きたらどうしよう。
今の自分には、もう以前ほどの価値がないのではないか。
そんな考えが何度も回り始めると、
現実には何も起きていないのに、
心だけが先に消耗していきます。
忙しく働いていた頃は、
考えるより先に動いていた人も多いと思います。
目の前のことをこなすだけで一日が終わる。
そのほうが、かえって楽だった。
そういう時期もあります。
けれど時間ができると、
今度は頭の中で
いろいろな会議が始まる。
しかも、その会議はなかなか終わりません。
では、
思考とは何なのか。
これは少し大げさに聞こえるかもしれませんが、
落ち着いて眺めてみると、
思考の多くは
過去を材料にして動いています。
過去に言われたこと。
うまくいった経験。
失敗した場面。
身についた常識。
人と比べた記憶。
自分なりの思い込み。
そういうものが元になって、
考えが次々に形をつくっていきます。
未来の心配も、
まったく新しいものというより、
過去の記憶や知識を使った予測であることが多い。
つまり思考は、
いまこの瞬間だけを見ているようでいて、
実はかなり昔の材料を引っぱってきています。
ここが見えてくると、
少しだけ受け取り方が変わります。
頭の中で聞こえている声が、
いつも真実そのものとは限らない、
ということです。
思考はもっともらしく話します。
でも、
その中身をよく見ると、
前にも似たようなことを考えていた、
ということが少なくありません。
しかも厄介なのは、
思考はかなり自動的に起きるということです。
考えないようにしようとしても考える。
夜、寝ようとすると急に活発になる。
もうこの話は終わりにしたいのに、
また戻ってくる。
自分で全部選んで考えている、
というより、
気づいたら始まっている。
実感としては、
そのほうが近い気がします。
だから、
考えすぎてしまう自分を、
必要以上に責めなくていいのだと思います。
まず知っておきたいのは、
思考はある程度、自動で動くものだということです。
問題は、
考えが浮かぶことそのものより、
その考えと一体になってしまうことなのかもしれません。
不安が出てきたときも同じです。
不安になってはいけない。
前向きでいなければ。
こんなことで揺れていてはだめだ。
そうやって上から押さえ込もうとすると、
かえって強くなることがあります。
それよりも、
ああ、今こういう考えが出ているな。
同じところをぐるぐる回っているな。
そのくらいの見方ができると、
少し風通しが変わります。
たったそれだけ、
と思うかもしれません。
でも、
その「気づく」が入ると、
思考との距離がほんの少しだけ生まれます。
その距離がないときは、
考えている内容がそのまま現実に見えます。
けれど、
少し離れて見られると、
考えは考えとして置いておけるようになります。
消さなくていい。
なくさなくていい。
ただ、巻き込まれすぎない。
それだけでも、
ずいぶん違います。
そして、
ここから先は答えを急がなくていい話ですが、
ひとつ残ることがあります。
考えごとは次々に変わる。
気分も変わる。
不安の内容も日によって違う。
では、
それに気づいているものは何なのだろう。
この問いを持つと、
思考が自分の全部ではない、
という感じが少し出てきます。
頭の中がにぎやかな日でも、
そのにぎやかさに気づいている側は、
別にあるように感じることがある。
そこまで行けなくても大丈夫ですが、
この方向は、
思考に飲まれすぎないための
ひとつの手がかりになる気がします。
思考は、
これからも必要です。
生活には欠かせません。
ただ、
思考が主役になりすぎると、
人はかなり苦しくなります。
便利な道具が、
いつの間にか持ち主を振り回してしまう。
そんなことが起きるのだと思います。
思考は、
私たちの暮らしを支える大切な働きです。
その一方で、
過去の記憶や不安を材料にして、
同じところを何度も回り続けることもあります。
そして多くの場合、
それはかなり自動的です。
だからまずは、
頭の中を無理に静かにすることより、
今、考えが走っているな
と気づくことのほうが、
現実的なのかもしれません。
考えがある日もあります。
まとまらない日もあります。
それでも、
考えそのものと、
それを見ている自分は、
ぴったり同じではない。
このことが少し見えてくるだけでも、
息苦しさは変わってくるように思います。
今日の記事を読んだあと、
一日のどこかで一度だけでも、
あ、今また頭の中で始まっているな
と気づく場面があれば、
それで十分だと思います。
このブログではこれからも、
役割の変化や不安の中で、
人が何を支えにしていけるのかを、
ひとつずつ言葉にしていきます。
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