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早くも1年の4/1が過ぎ去り、黄金週間も終わり。


来ました、「お母さん、ありがとう」

そう、母の日です。


昔は学校で赤のカーネーションを持たされ、お母さんへの感謝の手紙を書かされ、渡すというイベントが普通に行われていた。

しかもお母さんがいない子には、ご丁寧に白のカーネーションをもたせるという、無神経さも忘れない。


Xを見ると、

「母の日とんでもない、ありがとうなんて言うものか!! 」

的な投稿が目につく。


一体、何があったのだろう?



私には何があったのか。



まず、娘が嫌いな女だった。

生まれるはずじゃなかった、娘は嫌いだ、金がかかるから。



この馬鹿、ブス、体ばかり大きいでくのぼう、、、



いくらでも出てくる。



何より残酷だったのは、娘である私を嫌ってほとんど口を聞かなかったこと。




兄とは話す話す、ベタベタする。

裁判になった時親戚の叔父叔母たちが

「お前ンとこの兄は、ばあさん(母のこと)と男と女の関係だったんじゃないか」

と言ったのだから、

異常さは並ではなかった。





姉を死なせていた母親は、2番目の娘である私まで死んだら世間から後ろ指を指される、それだけは避けたかったので、嫌いなら口を聞かないことにしたという仮説も成り立つ。



そして、風呂が嫌いで不潔な片付けのできない人だった。



そのだらしなさと不潔さは、そうだと気が付かない私に引き継がれた。



ボロボロで股に穴の空いたパンツ、

ヨレヨレの下着。


(他の家の子供は清潔できれいな下着を着ていて、私とは違うと知ったのは家を離れてアパートで他の家の子と関わって初めて知った)



他にも、

肘が擦り切れて裏地の出た制服。

着たきりスズメで友だちと外出する時着る服もない。





このように不潔な子供だった私はよくいじめられて自殺しなかったと思うほどひどかった。

フケだらけで学校の上履きは臭く汚かった。

手提げカバンは歪んで醜い形になっても買い替えてはもらえなかった。




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全く、言い始めたらエンドレスに話せる残酷無関心物語だ。



その中で最もすごかったのが、兄に私を性的おもちゃとして差し出し、長期にわたって黙認したこと。



このために私は数十年苦しみ、今も病院に通い、あちこち色々な事をしながら回復の道を探り続けている。




自助グループを立ち上げたのも、その1つだ。



締めの一発は、父の生前から毎月数十万円を兄と兄嫁に手渡しであげていたこと。



こうすれば、生前贈与にはならない。

証拠がないから。



やられた。


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子供の頃、お母さんありがとうと、僅かな小遣いから小さな物を買って母の日にプレゼントしようとした。



母親が言ったのは、

「そんなものより成績をあげたほうがお母さんはうれしい。」

友達は成績のいいコにしなさい。





どこまでも娘の気持ちを傷つけるひとでなしであった。



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今日、私は素敵なカーネーションの盛花をお母さんに贈った。



もちろん、自分の母親ではない。



友人の母親に、だ。



遠くに住むその友人も彼女の母親も、たまに訪ねていくたび、不遇な私にとても親切にしてくれたのだ。




昨年、友人の母親はついに施設に入居した。




施設なので、花籠を部屋に置かせてもらえるだろうかと心配しながら、今年もカーネーションを贈った。


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読んでくれてありがとう。

ではまた、近いうちに。


近親姦被害者の自助グループ

【のぞみとあゆみ】

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