ひとつ前の当ブログの続きです。

北山修さんが1971年に出した『さすらいびとの子守唄』(角川書店)という本の中に、「日本は沖縄のふるさとか」というタイトルのエッセイがあります。北山修さんが沖縄を訪れ、現地の若者と語り合ったことが書かれていて、北山さんは「沖縄復帰はみんなの夢に描くふるさとへ向けて、よりよい状態を約束できるものでなければならない。しかし、誰が約束できる? それじゃあ、あんまりじゃないか」と書いています。しかし、この本が書かれてから53年、ずっと「沖縄」は置き去りにされたままなのです。

この「日本は沖縄のふるさとか」というエッセイには、日本の大学生の様子も書かれていて、「沖縄返還協定」阻止のストで授業ボイコットがある一方で、授業がなくなったのを「これ幸い」とばかりに、学生課には帰省のための「学割申請」が殺到したそうです。この頃は学生運動も盛んで政治的な関心がある若者が多い印象ですが、一方には「沖縄なんてオレたちに関係ないよ」と帰省したり、選挙のときも「無関心」であるから棄権するという若者も多いと書いています。

北山修さんは「恐ろしいのは、沈黙した声が結果的には賛成派として扱われ、棄権した一票が賛成票としての効果を持ち、無関係のつもりなのに、政治に関係してしまうことである」と書いています。本当にそうだよなあと思います。社会の中にいる以上、政治に無関係に生きることってできないでしょう。

この本が書かれたのは1971年(昭和46年)ですが、この年に行われた参議院議員選挙の投票率は59.2%。投票率が下がったことが話題になったようですが、次の1974年(昭和49年)は73.5%に上昇。衆議院議員選挙の方は1969年(昭和44年)は68.5%、次の1972年(昭和47年)は71.8%でした。これでも、「無関心」が嘆かれたのです。

それが今やどうでしょう。令和3年の衆議院議員選挙は55.9%。令和4年の参議院議員選挙は52.1%、その前回(令和元年)の48.8%を上回ったとはいえ、国民の半分ちょいしか投票していない状況が定着しているのです。そして、「投票率」だけでなく「選挙」そのものがぶっ壊れてしまいました。

最多の立候補者で話題になっている今回の「東京都知事選挙」です。テレビで「政見放送」を観ましたが、もう何だか質の悪いパフォーマンスの場になってしまった感じです。一言で言って「見るにたえない」です。これで、幻滅して「馬鹿らしい」と投票に行かない人も出てくるんじゃないかと心配になります。53年前、北山修さんは、政治への無関心から来る「投票率の低下」を危惧しましたが、まさかこの選挙への冒涜と「モラル崩壊」、これほど日本人が劣化するとは予想できなかったのです。(ジャッピー!編集長)