このところの当ブログで、『善人の条件』(1989 ジェームス三木監督)を取り上げました。

この映画では、市長選に立候補させられた津川雅彦さんが「クリーンな選挙」を目指しながらズブズブの「金権選挙」にハマってしまう様が描かれます。「選挙」と聞くと群がってくる、「利権」や「おこぼれ」目当ての連中の跳梁ぶりがクセの強い役者たちの演技で笑いを誘います。

しかし、こういうことが実際に起こっている現実を思うと笑いごとではありません。昨日、「改正政治資金規正法」が成立しました。世紀のザル法です。いや、「ザル」どころか最初から「底が抜けて」います。まあ、インチキはお手の物の「自民党」ですし、モタモタしている様子から「本気で改革」するわけないと思ってはいましたが、この「改正規正法」、予想のはるか上を行く「酷さ」ですね。(いや、こういう場合、「予想のはるか下を行く」というべきか。日本語は難しい) 

その後、キシダが総理になってから初の「党首討論」が行われましたが、この「改悪」規正法について、泉健太・立憲民主党代表に責められたキシダは「政治にはコストがかかる」とほざきました。このフレーズ、「キックバック裏金」が発覚したあと、何度聞かされたでしょう。まるで「政治にはお金がかかる」と言えばすべて済むような「免罪符」にするんじゃないよ。

これ、要するに「選挙にお金がかかる」ってことですよね。お金を集めて、それを投入して選挙を有利にしていく、それで金をくれた人や企業、団体には見返りを出す……という構造、端的にいえば「カネで票を買っている」わけです。キシダは「政治にはコストがかかる」とほざいた後で、「おカネがない若者でも政治を志せる現実的な資金のありようを考えた」と続けましたが、全く意味不明ですね。「おカネがかかる」構造を変える方向にはいかないって、日本語として、文脈がつながりませんよ。

カネがない若者でも政治を志せるようにするには、「カネがかかる」現況を変えなきゃならないんじゃないのかね。それを相変わらずの「カネ」頼みを温存って、政治家になれるのは首相官邸で悪ふざけするようなお前のボンクラ息子のような世襲か、派閥の親分に尻尾をふる奴だけなんですけど。

パー券購入者の「公開基準額」を引き下げることに難色を示したアソ―太郎も「政治にコストがかかる」とよくほざきますが、これ自民党が言い出した「言い訳」がいつの間にか「定説」になったのでしょう。本当に「政治に広く若い人材を」と切実に思っているなら、まずその「壁」を壊すはずですがね。キシダの言ってることは「詭弁」にすらなっていないのです。さすが、「穴だらけ」の改悪法を出すだけあるな、キシダ文雄、こいつの頭の中が「穴だらけ」だったのです。(ジャッピー!編集長)