ひとつ前の当ブログに書いたように、一度出始めるとなぜか続いて出ることのあるのが「ノーヒット・ノーラン」です。

2022年などは、5人も達成者が出ております。4月10日の千葉ロッテ・佐々木朗希投手の完全試合(このことについては当ブログ2022年4月11日~12日をご参照ください)、5月11日のソフトバンク・東浜巨投手、6月7日のDeNA・今永昇太投手、6月18日のオリックス・山本由伸投手、8月27日の日本ハム・ポンセ投手と立て続けでした。今永投手と山本投手の間は中10日ですし、このときは毎月出るんじゃないかと思いました。それにしても、今永投手も山本投手も今やメジャーリーガ-、佐々木投手も近い将来、アメリカに行くでしょうから、ある意味「ノーヒット・ノーラン」がメジャー行きの箔づけみたになっていますね……。

続けざまにノーヒット・ノーランが出たケースで記憶に残っているのが、1970年です。5月にジャイアンツの渡辺秀武投手がカープ相手に達成、続く6月に大洋ホエールズの鬼頭洋投手がヤクルト戦で達成したのです。月は違うけど3週間ぐらいしか空いてなかったと思います。何ではっきり覚えているかというと、同じセ・リーグの達成だったこともありますし、渡辺投手は体が大きいわりに気が弱く「メリーちゃん」という愛称で有名だったし、鬼頭投手も気が弱いことで知られ、素質は認められながら伸び悩んでいた左腕投手でした。当時僕は熱心にプロ野球のスクラップ・ブックを作って、さらに手作りの雑誌まで作っていて(当ブログ2021年3月21日~22日をお読みください)そんな二人がプレッシャーに負けず達成したなんてことを「記者きどり」で夢中になって書いたのでした。

翌年1971年はもっとすごくて、8月にカープの藤本和宏投手(活躍はこの年だけでした)がノーヒット・ノーラン、その二日後!に高橋善正投手(当時、東映)が何とパーフェクト! そして9月に入ってすぐ、近鉄のエース鈴木啓示投手が自身2度目のノーヒット・ノーランを達成したのです。3週間のあいだに3回!も達成者が出たのでした。しかも、うち一つは「完全試合」。

この時期はけっこう毎年出ていた「ノーヒット・ノーラン」、80年代に入るとパタッと出なくなり、今井雄太郎投手(この人も気が弱いことで知られてましたね)がパーフェクトを達成した1978年のあと、1985年の郭泰源投手(西武)まで約7年出ませんでした。郭投手の5日後に田中幸雄投手(日本ハム)が達成、出始めると続く例となりましたが、次は1987年の近藤真一投手(中日)のご存知、新人・初登板・初先発ノーヒット・ノーランです。結局、80年代はこの3人だけ。3週間で3人出る年もあれば、10年間で3人だけということもある「ノーヒット・ノーラン」、野球の神様の気まぐれなのか、何か理由があるのか、興味は尽きません。 (ジャッピー!編集長)