ひとつ前の当ブログで、「闘将」と言われた星野仙一監督よりも高木守道監督の方が実は怖かったと選手たちに言われていたということを書きました。

現役時代も怖かったそうで、鈴木孝政投手がフォアボールを出してピンチを招いたりすると、二塁から高木選手が来て「しっかり投げんか!」の一言だけで、いつもビビッてしまったと回想されていました。

その高木守道さんは2020年1月17日に、78歳でお亡くなりになりました。プロ野球を夢中になって観ていた頃に活躍されていた方なので残念でなりませんでした。特に、僕は少年時代(そして今も)大のジャイアンツ嫌いだったもので、セ・リーグでずっと巨人が優勝していた(9連覇)のを阻んだ1974年の中日ドラゴンズにはかなりの思い入れがあります。

その前から、ドラゴンズは好きな選手が多い球団で、特に高木守道選手はお気に入りでした。中暁生選手と守道さんの1、2番や、守道さんと一枝修平さんの二遊間なども玄人好みの名コンビで印象が強いです。一枝さんが移籍した後は、バート選手という外人選手が遊撃に入って、高木さんとの二遊間は本当に鉄壁でした! (このバートという選手は今まで来日した外国人選手で間違いなく最も守備の上手い選手でした)

当時、新聞のスポーツ欄を熟読していた僕が「いぶし銀」という言葉を覚えたのも、高木守道選手に形容するのに使われたのを読んだからでした。その頃、自分で「プロ野球ブック」なる個人雑誌?を作っていて(このことは当ブログ2021年3月21日~22日をご参照ください)、そこによく、「いぶし銀」とか「守備に定評がある」とか、野球記事定番の表現を多用していたのでした。

だいたい僕は昔から、僕は長嶋茂雄選手や王貞治選手のような大スターよりも、もっと職人肌の選手が好きだったのです。ドラゴンズのセカンドを守る高木守道選手はまさに「職人肌」という感じで、小柄な体で地味に黙々とプレイをしている印象が強いです。ファインプレーをしても、当たり前のように淡々とベンチに帰っていく姿は実にカッコよかったです。いかにも口数が少ないという雰囲気でした。今の選手はちょっとしたプレイでもすぐに派手なポーズをとったり、感情を出し過ぎと思います。(この項、続く) (ジャッピー!編集長)