さらに続けて、当ブログ2022年1月18日に書いた「高木守道監督、実は闘将・星野仙一監督より怖かった!」を以下に再録します。

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ひとつ前の当ブログで書いたように、いつだったか、巨人戦で、ドラゴンズの高木守道選手が三塁ランナーで、次打者の打球で三本間に挟まれ、ボールを持った関本四十四投手がボールが入ったグラブで高木選手の顔面にタッチしたことから乱闘になったことがありました。もうほとんどボクシングのフックみたいな感じで、さすがに高木さんが怒って食ってかかりました。しかも関本投手は謝るどころか、高木さんに殴りかかり、高木選手も応戦、乱闘騒ぎになりました。この「紳士」球団らしからぬダーティな行為のせいか、関本投手はこの年のオフに太平洋クラブ・ライオンズに放出されてしまいました。(加藤初さんとのトレード) これは、テレビで観ていても高木さんが怒っても無理のない案件でしたが、その他にも、堀内恒夫投手からデッドボールをくらった高木選手が怒って、ヘルメットを投げつけマウンドに迫っていったことがありました。

このときは、あの高木さんがこんなに頭に血を上らせることがあるんだ……とビックリした記憶があります。この2つの場面、はっきり覚えていますが、いずれもジャイアンツ戦なのは、当時はテレビの野球放送はほとんど「巨人戦」しかやっていなかったからです。なので、もしかしたら、他の試合でも、高木さんがホットな状態になったことがあったのかもしれません。

上の二つの案件で高木選手は「退場処分」にはなりませんでしたが、とうとう高木守道さんが「退場」を食らったのは、監督になってからです。第一次政権のときの最終年、1995年のことです。なぜ、すぐに年度が出てくるかというと、この退場の日が高木監督の第一次政権時の最後の采配の日だったからです。この日を最後に高木監督は成績不振のため休養(事実上の解任)となってしまったのです。

このとき、一塁のアウト、セーフを巡って、一塁塁審の胸をつく暴力行為で退場となってしまったのですが、いきなり手が出たように見えました。まるで最初から「退場」になるために手を出したように見えました。そもそも、そんなに抗議するような緊迫場面でもなかったし。このときスポーツニュースを見て、ああ、きっと高木監督は「途中解任」ということになってしまって、球団にも自分にも苛立っていたのだなあ……と思ったのでした。だからといって、こんな風に自分の感情のために暴力をふるうような人に見えなかったのでショックはショックでした。

晩年、二回目の監督時には「俺は暴走老人だから」と自虐的に言っていたそうですが、いやいや、お若いときから胸の中に「熱い」ものを迸らせていた方だったのです。元々、短気で「瞬間湯沸かし器」と言われていたことをあとになって知りました。選手にとっては「高木守道さんは本気で怒ったら星野仙一さんより怖い」と、もっぱらの評判だったそうです。

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最近のプロ野球は「退場」という場面はめったに見られなくなりました。もちろん、暴力や暴言は良くないことですから良い傾向なんでしょうが、何か「熱さ」も減ってしまったようにも感じます。

 (ジャッピー!編集長)