ひとつ前の当ブログで、昔、オールスター戦で中日ドラゴンズの稲葉光雄投手が顔を一塁側に向けたまま、ホームに投球するという技で、盗塁を狙った福本豊選手を一塁に釘付けしたことを書きました。

福本豊選手が田淵幸一選手のほとんどホームランの大飛球をもぎ取った場面はよく知られていますが、この稲葉光雄投手の「顔」けん制はあまり語られません。でも、僕ははっきり覚えています。それは僕が稲葉投手のファンだったこともあります。

稲葉投手は1970年秋のドラフトで中日に2位指名され入団。たしか「巨人以外なら、どこでも良かった」というようなことを言っていたのを読んだ覚えがあります。ジャイアンツじゃないと入団拒否するとか言う人がまだまだ多かった時代、少し後には「ズル」しても巨人に入るエガワ卓みたいな奴も出てきましたよね。しかし、稲葉投手は「巨人を倒す側」を希望したのです。子どもの頃から筋金入りのアンチ・ジャイアンツの僕は、入団前から稲葉投手が好きになりました。

当時の水原茂監督が「稲葉は新人王のダークホース」と述べていたのもはっきり覚えています。もちろん、自軍の新人投手を褒めるのは当然ですが、水原監督が本気で言っていたという感じがしました。ドラフト1位が高卒の投手で、社会人から来た稲葉さんは即戦力、背番号も「18」でしたから、相当な期待がかけられていたと思います。

そして、1971年のシーズンが始まり、後半に活躍した稲葉投手は「6勝0敗」という結果を残しました。特に、6勝目がジャイアンツ完封だったのが印象的で、小気味いいピッチングだったのを今でも覚えています。入団時の言葉どおり、ジャイアンツ相手となると気合が入るのか、巨人キラーでしたね。

新人王はとれませんでしたが、翌1972年には20勝投手となりました。新人時の「6勝0敗」に続き、この2年目も開幕から3連勝で「新人から9連勝」だったのです。オリックスの東晃平投手が入団以来8連勝(残念ながらここでストップ)したときに、そういえば稲葉投手も「負けない」投手

だったなあと思い出したのです。(ジャッピー!編集長)