ふたつ前の当ブログで、ロサンゼルス市の「大谷翔平の日」制定の決議を大谷翔平選手が辞退しなかったことに驚いたと書きました。

そのブログの最後のところで、かつて阪急ブレーブスの福本豊さんが「国民栄誉賞」を辞退したことに触れました。通算1065盗塁という記録を持つ日本プロ野球史上最高の盗塁王、福本豊さんは、当時メジャーリーグの記録だったルー・ブロックさんの939盗塁を抜いた年、国民栄誉賞を打診されましたが、「そんなモンもろたら、立ちションできなくなるがな」と言って辞退したのです。職人肌のプレーヤーである福本さんらしくていい話です。

福本さんはノンプロの松下電器からドラフト7位で入団したのですが、小柄で非力な自分がプロ野球に入れるとは思ってもおらず、阪急から指名されたことも知らなかったそうです。ドラフト会議の翌朝、普通に会社に出勤したら、スポーツ新聞を読んでいた同僚に「お前の名前が出とるぞ」と言われ、初めて指名を知ったそうです。もっと傑作なのは、福本さんの奥さんです。野球のことを全く知らない奥さんは福本さんに「阪急に転職や」と言われて、夫は阪急電鉄の駅員になったと思い込んでいたというエピソードがあります。

昔、阪急ブレーブスは、というかパ・リーグ全体が人気がなく、テレビで試合が中継されるなんてことはめったになかったので、日本シリーズかオールスター・ゲームぐらいしか福本さんのプレイを見ることができませんでした。

僕が福本さんで鮮烈に覚えているのも、1974年のオールスター戦です。阪神・田淵幸一選手が放ったホームラン性(というか、ホームラン)の打球を。センターを守っていた福本さんが背走し、フェンスに上ってもぎ取ったのです! これはすごかった! たしかこのプレイで福本さんはこのゲームのMVPを獲得したと記憶しています。当時、人気で劣っていたパ・リーグはオールスター戦といえども手を抜かず、「実力のパ」を見せてやろうとセ・リーグへの対抗意識に燃えていたのがよくわかります。

昭和のスピード・スター、福本豊選手は守備も超一流だったなあ。 (ジャッピー!編集長)