さらに続けて、当ブログ2021年8月8日に書いた「ガースーは、哀悼は“使いまわし”でいいと言っていた」を以下に再録します。

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ひとつ前の当ブログで、8月6日に行われた「平和記念式典」の挨拶において、原稿を1ページ(114文字)、丸ごと読み飛ばし、文脈が通らない意味不明のまま読み通したガースーについて、これは被爆者の方々に対して「失礼」というのを通り越して、「冒涜」と言えると書きました。

テレビのニュースで、この「読み飛ばし」について軽く謝罪を述べるだけのガースーを見て、思い出したことがあります。

昨年、まだ仮病で逃げる前のアベ晋ゾー首相が、8月9日の「ナガサキの平和記念式典」で行った挨拶が3日前の「ヒロシマの平和記念式典」で述べた挨拶とほとんど同じだったことを指摘され、官房長官だったガースーは「哀悼の気持ちや唯一の被爆国としての立場で申し上げるのは、両式典でどうしても同じようなものになってしまうのではないでしょうか」と、例の血の通っていないような表情で言ったのでした。

なるほど、こいつの中では「同じように原爆が落ちた」んだから、哀悼も「使いまわし」でいいだろというわけか。それぞれの街で、それぞれの人生を送っていた人々の未来を原爆が断ち切ったということへは思いが至らないわけですね。そのうち、葬儀の日に「初七日」を合わせてやるみたいに、「広島と長崎」の式典をまとめてやりゃいいんだとか言い出しかねないですね。いや、アベやガースーならやりかねないでしょう。

同じ哀悼をコピペすればいいなんて料簡だから、自分が原稿を飛ばして読んでることにも気づかないわけです。そもそも、政治家っていうのは本来、自分の「言葉」を発してナンボという職業ではないのか。ただ原稿を棒読みしているだけで、アドリブもきかないガースーよ、とっとと辞めなさい。 

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アベ晋ゾー、ガースー、そしてキシダ文雄と着実に「やっつけ仕事」の系譜が受け継がれています。キシダよ、「マイク切り」懇談会のイトウ信太郎をクビにしないのかい? あんたの“売り”だった「聞く力」にまっこうから反していますよ。 (ジャッピー!編集長)